2024年05月26日

嗚呼香月経五郎之墓








香月 経五郎・・・嘉永2年(1849年)生、明治7年(1874年)没。

香月 経五郎は、佐賀藩士香月三之介の長男として佐賀郡早津江で生まれた。弘道館で学び、その後長崎の致遠館(佐賀藩の英学校)に進み英学を習得した。明治維新後、上京し江藤新平の書生となった。明治4年、岩倉具視全権大使一行の外遊には通訳も務めた。

「佐賀の乱」が起こると、江藤新平と行動を共にし、鹿児島から四国へ渡った。高知県種崎町で捕縛され、斬罪された。彼は、処刑された者達の中では、最年少の26歳であった。  


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2008年04月27日

中立党



「佐賀の乱」と言えば、江藤新平の「征韓党」と島義勇の「憂国党」である。

しかし、もうひとつ「中立党」という組織も存在した。戊辰戦争で武勲を立てた「前山清一郎」が党首でこの党は、官軍に付いて佐賀藩士の掃討に加わった。

「中立党」の本陣は、当時、佐賀県庁東の「宋龍寺」にあったために、「県庁党」とも「正義党」とも呼ばれた。
  


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2008年04月27日

征韓党、発足の地



「征韓党」が正式に名乗りをあげたのは、明治6年12月23日、佐賀城下白山・中町の「板谷食堂」と言われている。江藤新平以下、25名が集結し、「建白書」と「趣意書」を決議した。

長屋風の日本家屋二階建てだった建物は、旧長崎街道の南側に建っていて、昭和40年頃まで現地にあったが、老朽化のため取り壊された。  


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2008年04月27日

憂国党、本拠地





「憂国党」は、佐賀城下南に位置する「宝琳院」を本拠地とした。そのため、別名を「宝琳院会」、「憂国大社」、「南組」などと呼ばれた。

「憂国党」の組織は、以下の通りである。

 ・主 謀   島義勇
 ・会 軸   重松基吉 副島義高 村山長栄 中川義純 福地常彰
 ・大隊長   鍋島克一 馬渡雅一 川浪久蔵 井上長敬
 ・監  軍   北原彦四郎
 ・副大隊長 大石武安
 ・指 令   大坪清八
 ・弁 事
 ・幹 事
 ・副司令
 ・小司令
 ・斥 候

なお、「征韓党」「憂国党」両党とも、各隊に忠奮、勇敢、神速、遊撃、狙撃など又、一番隊、二番隊なども編成した。  


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2008年04月27日

征韓党、本拠地







明治7年2月、「征韓党」が本拠地を置いたのが、佐賀・与賀町の「延命院」である。

「征韓党」の編成は、以下の通り。

 ・主 宰    江藤新平
 ・亜 者    山中一郎 香月経五郎 朝倉尚武 石井貞興 山田平蔵 中島鼎蔵 西義質
 ・総 代    生田源八 
 ・一等斥候
 ・二等斥候
 ・三等斥候

また、「征韓党」は別名、「延命院党」、「征韓大社」、「開化党」、「北組」とも呼ばれた。  


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2008年04月27日

◆十三烈士・福地 常彰



福地 常彰・・・天保4年(1833年)生、明治7年(1874年)没

福地 常彰は、佐賀藩士の中島家に生まれたが福地寿右衛門の養子となった。藩の極役として農民などの訴訟を取り扱い、名裁判の評判が高かった。

明治6年、実弟の中島彦助と共に「憂国党」に加わって会軸となった。「佐賀の乱」で敗戦した後、幹部達が鹿児島に向かうのに反対し、切腹を主張した。村山長栄と切腹の用意までしたが皆に阻まれ、果たさず鹿児島へ向かった。その伊集院駅で捕縛され斬罪となった。  


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2008年04月26日

◆十三烈士・副島 義高



副島 義高・・・文政10年(1827年)生、明治7年(1874年)没。

副島 義高は、島義勇の弟として生まれ、共に弘道館で学び成人後、副島家を継いだ。

宝琳院で憂国党の組織立ち上げに際し、会軸に推された。そして「佐賀の乱」が起こると常に本陣で指揮を執った。敗戦が濃厚にになり、征韓党が解散すると自ら神埼・境原で憂国党隊を指揮し奮戦したが、敗れた。

敗戦後は、島義勇らと住ノ江港から鹿児島へ向け脱出して、島津久光を頼ったが捕縛され斬罪となった。  


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2008年04月26日

◆十三烈士・中島 鼎蔵



中島 鼎蔵・・・嘉永2年(1849年)生、明治7年(1874年)没。

中島 鼎蔵は、佐賀藩士中島祐衛門の次男として生まれた。弘道館で学び、草場佩川や武富い南にも学んだ。

「佐賀の乱」では、征韓党の一番小隊を指揮し、中原・寒水川で官軍を迎撃した。敗戦後、江藤新平らと四国まで向かったが、捕縛され斬罪となった。香月経五郎と同じく、26歳だった。  


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2008年04月26日

◆十三烈士・香月 経五郎



香月 経五郎・・・嘉永2年(1849年)生、明治7年(1874年)没。

香月 経五郎は、佐賀藩士香月三之介の長男として佐賀郡早津江で生まれた。弘道館で学び、その後長崎の致遠館(佐賀藩の英学校)に進み英学を習得した。明治維新後、上京し江藤新平の書生となった。明治4年、岩倉具視全権大使一行の外遊には通訳も務めた。

「佐賀の乱」が起こると、江藤新平と行動を共にし、鹿児島から四国へ渡った。高知県種崎町で捕縛され、斬罪された。彼は、処刑された者達の中では、最年少の26歳であった。  


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2008年04月25日

◆十三烈士・山中 一郎



山中 一郎・・・嘉永元年(1848年)生、明治7年(1874年)没。

山中 一郎は、佐賀藩士山中四三郎の長男として水ヶ江に生まれた。弘道館に学んで若いときから秀才と言われた。
明治2年、藩命により欧米に留学し、明治6年に帰国するまで諸外国の国勢を調査した。
「佐賀の乱」が起こると斥候掛長となり、敵情を偵察したり、長崎でグラバーから武器調達を行なった。

戦いに敗れると、江藤新平と一緒に鹿児島から四国へ向かった。その後、土佐の中村で捕縛され、明治7年4月13日処刑された。その時、27歳であった。  


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2008年04月24日

◆十三烈士・朝倉 尚武



朝倉 尚武・・・天保13年(1842年)生、明治7年(1874年)没。

朝倉 尚武は、佐賀藩士の家に生まれ、弘道館に学び特に兵学に優れていた。戊辰戦争では、佐賀藩隊の軍監付きや少隊長として奥羽で戦った。明治4年には、佐賀藩の兵制改革で2個大隊が編成され、1番大隊長に任命された。

「佐賀の乱」では、征討軍に対する陽動作戦として三瀬峠に陣を張った。ここでの朝倉勢はわずか十挺の小銃しか持たなかったが、征討軍と福岡県貫属隊を大いに悩ませた。これを見た征討軍の山田 顕義少将が「ここの佐賀兵を指揮しているのは、おろらく朝倉 尚武に違いない」と言わしめた。朝倉 尚武と山田 顕義は、陸軍少佐時代の旧友でもあり、彼らは陸軍きっての武勲者でもあった。

しかし最期は江藤 新平らと同じく、明治7年、斬罪された。  


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2008年04月23日

◆十三烈士・西 義質



西 義質・・・天保8年(1837年)生、明治7年(1874年)没

西 義質は、佐賀藩士の長男として生まれた。戊辰戦争では、前山清一郎隊に属し、奥羽遠征で転戦する。最上川畔で敵弾が右胸部に当たり、自害しようとしたが戦友に止められ後方に送られた。戦傷の痛みからしばらく帰農していたが、「佐賀の乱」が起こると征韓党に加わり、江藤新平の幕僚として戦った。

戦いに敗れると、木原 隆忠に降状を持たせて官軍の陣営に遣わした。最期は、江藤新平らと4月13日に斬罪された。


  


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2008年04月22日

◆十三烈士・村山 長栄



村山 長栄・・・弘化元年(1844年)生、明治7年(1874年)没。

佐賀藩士野田家に生まれ、後に村山右衛門の養子となる。弘道館に学び、明治4年には佐賀藩の常備隊であり一心隊の隊長となった。

「佐賀の乱」が起こると、憂国党に加盟し、忠奮隊を率いて戦う。敗戦後は山中に潜伏するも捕縛され斬罪となった。  


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2008年04月21日

◆十三烈士・山田 平蔵



山田 平蔵・・・弘化元年(1844年)生、明治7年(1874年)没。

山田 平蔵は、佐賀藩士の長男として生まれ、弘道館に学ぶ。明治4年の廃藩置県後に佐賀県中属となった。

「佐賀の乱」では先頭にたって指揮を執り、戦いに敗れると江藤新平と一緒に鹿児島から四国の宇和島に渡った。
ここから一人で日向に引き返し、鹿児島に入ったところで自首した。佐賀送りが遅れたため、山田 平蔵一人は4月17日、斬罪となった。

彼の孫は、潜水艦乗りで有名な海軍少将・山田 隆である。  


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2008年04月20日

◆十三烈士・中川 義純



中川 義純・・・文政2年(1819年)生、明治7年(1874年)没。

中川 義純は、佐賀藩士の子として生まれ、藩校・弘道館で学ぶ。明治6年、同士と上京し島義勇と合い憂国党の幹部となる。

「佐賀の乱」では、島義勇を補佐し戦費や兵糧の確保に尽力した。重松基吉らと共に鹿児島の島津久光に訴えるが捕縛後、斬首となる。  


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2008年04月20日

◆十三烈士・重松 基吉



重松 基吉・・・文政7年(1824年)生、明治7年(1874年)没

島義勇の次弟として生まれ、藩校・弘道館に学び、長じて重松家の養子となる。

明治7年、島義勇らと「憂国党」を起こし、幹部に推された。「征韓党」と呼応し挙兵、組織全体を監督した。「佐賀の乱」で敗れ、島義勇・重松基吉・副島義高の三兄弟は共に斬罪となった。  


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2008年04月20日

◆十三烈士・島 義勇





島 義勇・・・文政5年(1822年)生、明治7年(1874年)没。

佐賀城下の精小路に、佐賀藩士の子として生まれ、藩校・弘道館で学ぶ。

明治2年(1869年)、新政府において藩主・鍋島直正が蝦夷開拓督務になると、蝦夷開拓御用掛に任命され、同年7月22日、開拓使主席判官に就任する。さらに明治4年(1871年)12月に秋田県の初代権令(知事)となる。

明治7年(1874年)、「憂国党」の党首として「佐賀の乱」を起こすが敗れ、同年3月7日捕らえられ、4月13日斬首刑に処された。  


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2008年04月20日

◆十三烈士・江藤 新平





江藤 新平・・・天保5年(1834年)生、明治7年(1874年)没

佐賀八戸町に生まれ、藩校・弘道館に学んだ。尊王攘夷運動に加わり、その後開国論を唱える。

明治元年(1868年)新政府成立後、徴士として出仕、江戸遷都を提唱した。文部大輔、左院副議長などを経て5年(1872年)司法卿となり、司法制度整備や民法制定などに尽力した。

明治6年(1873)参議となるが征韓論争に敗れて下野する。同年佐賀に帰郷後、「征韓党」の首領となり、「佐賀の乱」を起こすが敗北し、処刑された。

  


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2008年04月20日

◆佐賀の役・十三烈士







明治7年(1874年)、「佐賀の役」で戦った十三烈士である。  


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2008年02月21日

朝倉尚武



佐賀市乾亨院には、「佐賀の乱」で江藤新平らと共に戦った、朝倉尚武も祀ってあります。

佐賀軍の第一大隊長として、三瀬峠で官軍と激戦を交え少数の兵士で、敵の大軍を大いに悩ませた名将でした。
  


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2008年02月20日

官軍墓地





佐賀市乾亨院には、明治7年の「佐賀の乱」で戦士した官軍・熊本鎮台第十一大隊の兵士達の墓が祀ってあります。

りっぱな墓石であり、ある意味、当時の官軍の威光が感じられます。
  


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2008年02月12日

佐賀の乱・十三烈士





城内博物館の南側に「佐賀の乱」で命を落とした十三烈士の鎮魂碑があります。
  


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2008年02月11日

明治七年役記念





皇紀2600年(昭和15年)建立、いわゆる「佐賀の乱」の記念碑です。ここでは「明治七年役記念」とあります。

地元、佐賀では、この頃から「乱」ではなく「役」という考え方が出てきたのでしょう。
  


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2008年02月07日

「佐賀の役」の慰霊碑



佐賀市・中の館万部島にある「佐賀の役」の慰霊碑です。

台座の霊亀は、「贔屓」(ひいき)といって龍の第一子です。

龍が、「贔屓」ばかりヒイキするからエコヒイキと言うようになりました。
  


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