2010年05月02日

伊能忠敬・測量記念碑









伊能忠敬は、文化6年(1806年)~文化8年(1811年)にかけて小倉を出発し東九州や長崎街道を測量ました。
ここ、常盤橋にはその偉業である測量200年を記念した碑が建ちます。  


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2010年05月01日

小倉城











小倉の街中からは、小倉城の勇姿を見上げる事ができます。  


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2010年04月30日

小倉県庁跡







明治4年(1871年)4月に「西海道鎮台」が小倉に設置された後、同年11月から明治9年4月までの間、小倉には県庁がありました。この建物がその小倉県庁跡です。
福岡県に合併された後は、裁判所、警察署、病院へと姿を変えて今にその名残を残しています。  


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2010年04月27日

広告塔





広告塔は、明治23年頃に常盤橋のたもとに建てられました。
森鴎外の小説に、西洋から直接小倉に伝わった「東京にないもの」のひとつとして挙げられています。  


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2010年04月24日

長崎街道、起点









長崎街道の西の起点は、ここ常盤橋と云われています。
いまでは当時の景色は残っていませんが、道幅だけは、ほぼ往時のままのようです。  


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2010年04月20日

常盤橋の橋脚







慶長7年(1602年)、小倉城主・細川忠興は、紫川の東に橋を架けました。最初は、「大橋」と呼ばれていましたが、元禄5年(1692年)架け替えた時に「常盤橋」となりました。
その後、洪水や老朽のために何回となく架け替えられました。
ここにある橋脚は、文政5年(1822年)の銘が入っており、直径60センチ、高さは5.7メートルの巨大なものでした。  


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2010年04月19日

常盤橋









常盤橋は、小倉城下の重要な橋として当初は、大橋と呼ばれていました。
参勤交代の大名や長崎奉行をはじめ多くの旅人がこの橋を渡りました。ドイツ人医師・シーボルトも銅版画でこの橋を記録に残しています。  


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