2011年10月02日

旧高取邸・その1







旧高取邸は、杵島炭鉱などの炭鉱王として知られる高取伊好の邸宅です。約2300坪の広大な敷地に大きく2棟の建物が建っています。  


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2011年09月27日

旧唐津銀行・その3









旧唐津銀行は、佐賀県遺産にも指定され、建物全体が、明治期の西洋文化を感じる雰囲気を醸し出しています。  


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2011年09月26日

旧唐津銀行・その2









旧唐津銀行の内部は、当時の様子を細かく再現してあります。  


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2011年09月25日

旧唐津銀行・その1







旧唐津銀行は、明治45年(1912年)に竣工しました。建築家・辰野金吾の愛弟子である田中実が「辰野式」を採用して建てたものです。  


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2011年06月26日

御蔵跡礎石







御蔵跡の敷地内には、今でも礎石であった思われる加工された石が残っています。
そして、現在の地主さんが稲荷神社を大切に祀ってあります。  


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2011年06月24日

御蔵跡





旧小城藩七万石の年貢米などを保管した御蔵跡です。地元の人々からずっと「御蔵(おくら)」と呼ばれていたそうです。
牛津は、牛津江を利用した船着場でこの御蔵跡北の江湖には旧小城藩の船着場がありました。  


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2010年11月08日

小保・榎津地区







大川市の小保・榎津地区は伝統的建築物が現存する町保存地域です。江戸時代に小保町は、旧柳河藩の宿場町として賑わい、榎津町は旧久留米藩の港町として栄えた地区で、質の高い建築物が数多く残されています。  


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2008年08月05日

星巌寺の竹林





星巌寺の一番奥には、見事な竹林が広がります。竹は、それこそ破竹の勢いで伸びるので絶えず手入れが必要です。
ここの竹林は、地元・観光協会の方々が丹念に整備されていて、まさに日本の原風景を醸し出しています。  


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2008年08月04日

報恩堂





小城歴代藩主と一族のお位牌が安置されています。静寂の中に、歴史の重みを感じます。  


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2008年08月02日

小城鍋島家・御霊所





星巖寺境内の奥中央には、歴代小城鍋島家藩主の墓所があります。

広い敷地内に壮大な墓石が整然と並んでいます。  
タグ :鍋島


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2008年08月02日

五百羅漢





星巖寺・奥には、五百羅漢と呼ばれる像群があります。江戸時代、元禄・享保の頃に名石工である平川一族によってつくられたと伝えられています。
いろんな顔をした羅漢様が、個性豊かに並んでいます。  


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2008年07月21日

祥光山・星巖寺







祥光山・星巌寺は、貞亨元年(1684)2代目の小城藩主・鍋島直能が建立した黄檗宗に属する小城藩主の菩提寺です。


  


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2008年07月21日

松尾山・光勝寺





「山辺の道」をほどなく進むと、山中に忽然と巨大な寺門が現れます。

ここ、松尾山・光勝寺は、文保元年(1317)千葉胤貞により創建されたといわれる日蓮宗の鎮西総本山です。その立派さは、大型時代劇に登場しそうな迫力です。  


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2008年07月20日

円通寺







「山辺の道」途中にある、三間山・円通寺は、室町時代の貞和6年(1350)に京都南禅寺・鎌倉建長寺と並んで、「日本三大興国禅寺」の称号を受けたとされる寺院です。その寺内は現在はあまり広くはありませんが、趣きのあるたたずまいです。

開基は古く、白雉元年(650)に筑後の郡司・三池氏が氏寺として創建したのが始まりと伝わります。平安時代の中頃までは「三間寺」と呼ばれる天台宗の寺でしたが、鎌倉時代に南宋から渡ってきた禅僧・蘭渓道隆により、禅宗の寺・円通寺と呼ばれるようになりました。

  


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2008年07月19日

山辺の道





須賀神社の麓より、「山辺の道」という道が西方へ伸びています。これは、中世の千葉氏・千葉城から近世の鍋島氏・祥光山・星巌寺まで全長2.2kmに及ぶ歴史の道です。  


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2008年07月19日

須賀神社







須賀神社の創建は、延暦22年(803年)と云われ、かなり古いものです。その後、正和5年(1316年)に京都の八坂神社の分霊を勧請し、祇園社と称していました。

明治9年(1876年)に現在の「須賀神社」と称するようになりました。正面の急な階段は、仰ぎ見るだけでも相当の迫力を感じます。  


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2008年07月08日

千葉城址





千葉氏がこの城を築いたのがいつ頃だったかはっきりしませんが、千葉大隈守胤貞という人物が正和5年(1316年)、はじめて下総国(千葉県)より下向し、晴気に居住し、それとともに千葉城をつくったとしています。

千葉氏は東千葉、西千葉の両家にわかれ、争って衰退し、龍造寺隆信に服属していきました。  


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2008年06月02日

妙福寺・千人塚







明和3年(1767年)、同寺の日潮上人によって石碑に建て代えられた「千人塚」は、妙福寺に移されています。

佐賀藩・刑場の官吏は、ここ「妙福寺」に控えたと伝えられています。  


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2008年06月02日

千人塚







長崎街道を更に西へ進み嘉瀬川を渡る頃、傍らにはかつて佐賀藩の刑場がありました。

元禄時代、嘉瀬津・妙福寺19世、日仙上人が刑死者の菩提を弔うため、卒塔婆を建てたと伝えられています。その後、明和3年(1767年)、同寺の日潮上人によって石碑に建て代えられました。現在は、石碑は妙福寺に移され、地蔵様を祀る祠が森林公園の中にあります。  


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2008年06月01日

鍋島段通・顕彰碑





嘉瀬扇町・苗運寺の境内には、元禄6年(1693年)に「扇町毛氈」を始めた「古賀清右衛門」の墓と、「鍋島段通」顕彰碑がある。

「鍋島段通」は、当時の佐賀藩三代藩主・鍋島綱茂公が、この緞通の精緻で優美な趣を愛し、藩内での生産を奨励し、扶持米をあたえて御用品とした。さらに、一般への販売を禁じ、佐賀藩から幕府や親藩大名への贈り物として用いられ、以来明治20年頃まで製造された。  


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2008年05月18日

森永煙草製造所跡





佐賀市・柳町界隈には煙草製造所が数軒あった。その代表とされるのが、「森永煙草製造所」であり、ここで「富士の煙」が製造された。

「富士の煙」は刻み煙草で、原料は鹿児島から有明海を渡り佐賀江を通って運ばれた。佐賀煙草が本格的になったのは江戸時代からだが、日露戦争のため明治37年に専売法が公布され民営の煙草製造は官営に移行し、「富士の煙」も製造中止となった。  


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2008年05月18日

八坂神社の大楠





佐賀市柳町の八坂神社境内には、樹齢約800年の大楠がある。

この境内では、大隈重信が幼少の頃に遊んでいたと云われる。  


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2008年04月18日

別れの松





佐賀城下を西へ進みと嘉瀬町の長崎街道沿いに「別れの松」がある。

ここはかつての刑場に向かう罪人が、家人や知人と別れを告げた場所であった。  


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2008年04月15日

大砲271門





佐賀藩が製造した大砲は、江戸幕府などへ送られ全部で271門におよんだ。  


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2008年04月15日

築地反射炉





佐賀十代藩主・鍋島直正は、長崎港台場の増設と洋式大砲の設置する為に、嘉永3(1850)年、ここ築地に反射炉を建て日本で最初の鉄製大砲の鋳造を行った。

場所は、現在の佐賀市立日新小学校運動場の東側になる。
  


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2008年03月06日

佐賀城・北の門跡





佐賀県議会棟の西側に「佐賀城・北の門跡」碑が立っています。

このあたりに、北の門があったと伝えらています。
  
タグ :佐賀城


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2008年03月06日

佐賀城・北堀石垣





県庁前の北堀には、いまでも石垣が建造当時のままの姿で残っています。

これらの石垣は、寛政年間(1795年頃)に築かれたものです。
  
タグ :佐賀城


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2008年03月06日

天然記念物の大楠





佐賀県庁前に、天然記念物の大楠があります。

この大楠は、平成8年に道路工事に伴って、3年がかりで移植されました。
  
タグ :佐賀城


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