2011年10月02日
2011年09月27日
2011年09月26日
2011年09月25日
2011年06月26日
2011年06月24日
御蔵跡


旧小城藩七万石の年貢米などを保管した御蔵跡です。地元の人々からずっと「御蔵(おくら)」と呼ばれていたそうです。
牛津は、牛津江を利用した船着場でこの御蔵跡北の江湖には旧小城藩の船着場がありました。
2010年11月08日
小保・榎津地区
大川市の小保・榎津地区は伝統的建築物が現存する町保存地域です。江戸時代に小保町は、旧柳河藩の宿場町として賑わい、榎津町は旧久留米藩の港町として栄えた地区で、質の高い建築物が数多く残されています。
2008年08月05日
星巌寺の竹林
星巌寺の一番奥には、見事な竹林が広がります。竹は、それこそ破竹の勢いで伸びるので絶えず手入れが必要です。
ここの竹林は、地元・観光協会の方々が丹念に整備されていて、まさに日本の原風景を醸し出しています。
2008年08月04日
2008年08月02日
2008年08月02日
2008年07月21日
2008年07月21日
松尾山・光勝寺
「山辺の道」をほどなく進むと、山中に忽然と巨大な寺門が現れます。
ここ、松尾山・光勝寺は、文保元年(1317)千葉胤貞により創建されたといわれる日蓮宗の鎮西総本山です。その立派さは、大型時代劇に登場しそうな迫力です。
2008年07月20日
円通寺
「山辺の道」途中にある、三間山・円通寺は、室町時代の貞和6年(1350)に京都南禅寺・鎌倉建長寺と並んで、「日本三大興国禅寺」の称号を受けたとされる寺院です。その寺内は現在はあまり広くはありませんが、趣きのあるたたずまいです。
開基は古く、白雉元年(650)に筑後の郡司・三池氏が氏寺として創建したのが始まりと伝わります。平安時代の中頃までは「三間寺」と呼ばれる天台宗の寺でしたが、鎌倉時代に南宋から渡ってきた禅僧・蘭渓道隆により、禅宗の寺・円通寺と呼ばれるようになりました。
2008年07月19日
2008年07月19日
須賀神社
須賀神社の創建は、延暦22年(803年)と云われ、かなり古いものです。その後、正和5年(1316年)に京都の八坂神社の分霊を勧請し、祇園社と称していました。
明治9年(1876年)に現在の「須賀神社」と称するようになりました。正面の急な階段は、仰ぎ見るだけでも相当の迫力を感じます。
2008年07月08日
千葉城址
千葉氏がこの城を築いたのがいつ頃だったかはっきりしませんが、千葉大隈守胤貞という人物が正和5年(1316年)、はじめて下総国(千葉県)より下向し、晴気に居住し、それとともに千葉城をつくったとしています。
千葉氏は東千葉、西千葉の両家にわかれ、争って衰退し、龍造寺隆信に服属していきました。
2008年06月02日
2008年06月02日
千人塚
長崎街道を更に西へ進み嘉瀬川を渡る頃、傍らにはかつて佐賀藩の刑場がありました。
元禄時代、嘉瀬津・妙福寺19世、日仙上人が刑死者の菩提を弔うため、卒塔婆を建てたと伝えられています。その後、明和3年(1767年)、同寺の日潮上人によって石碑に建て代えられました。現在は、石碑は妙福寺に移され、地蔵様を祀る祠が森林公園の中にあります。
2008年06月01日
鍋島段通・顕彰碑
嘉瀬扇町・苗運寺の境内には、元禄6年(1693年)に「扇町毛氈」を始めた「古賀清右衛門」の墓と、「鍋島段通」顕彰碑がある。
「鍋島段通」は、当時の佐賀藩三代藩主・鍋島綱茂公が、この緞通の精緻で優美な趣を愛し、藩内での生産を奨励し、扶持米をあたえて御用品とした。さらに、一般への販売を禁じ、佐賀藩から幕府や親藩大名への贈り物として用いられ、以来明治20年頃まで製造された。
2008年05月18日
森永煙草製造所跡
佐賀市・柳町界隈には煙草製造所が数軒あった。その代表とされるのが、「森永煙草製造所」であり、ここで「富士の煙」が製造された。
「富士の煙」は刻み煙草で、原料は鹿児島から有明海を渡り佐賀江を通って運ばれた。佐賀煙草が本格的になったのは江戸時代からだが、日露戦争のため明治37年に専売法が公布され民営の煙草製造は官営に移行し、「富士の煙」も製造中止となった。
2008年05月18日
2008年04月18日
2008年04月15日
2008年04月15日
築地反射炉
佐賀十代藩主・鍋島直正は、長崎港台場の増設と洋式大砲の設置する為に、嘉永3(1850)年、ここ築地に反射炉を建て日本で最初の鉄製大砲の鋳造を行った。
場所は、現在の佐賀市立日新小学校運動場の東側になる。