2008年05月22日

室園橋









大正9年架設の「室園橋」は、元の室園遊廓(今宿遊廓)の名残を残す橋である。

今宿・裏十間堀川の南の水路に架かり、その欄干には、太平楼、赤星、三浦屋、三玉楼、丸吉楼などの楼名が刻まれている。この橋は、当時、室園遊廓組合の手で造られた石橋である。  


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2008年05月21日

了関橋







裏十間堀川を下り、今宿にかかる所に「了関橋」がある。

「了関」とは、蓮池藩二代藩主・鍋島直之の法名「要玄院殿了関宗勇大居士」に因んで命名された橋。直之は、佐賀二代藩主・鍋島光茂のいとこである。

橋の際に、恵比須像が建っている。  


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2008年05月21日

あかかべ







裏十間堀川・「中の橋」岸に「あかかべ」を商標とする中島酒造がある。

その名の通り、蔵の壁が赤く往時の趣きが今に伝わるようである。  


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2008年05月20日

中の橋







明治34年、架設の橋で当時の石組みを残している貴重な橋である。裏十間堀川の中間にあるので「中の橋」と名付けられた。

橋の東岸には、祠に護られた恵比須像があり毎年、1月10日にはえびす祭りが行われている。  


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2008年05月20日

材木橋







昭和7年に貫通道路が通った時に、架橋された橋で親柱が実に見事である。

この付近の材木町は、江戸時代から明治にかけた佐賀藩の蔵屋敷や問屋街であった。当時は、有明海や筑後川を航行した船が裏十間堀川まで昇ってきた。そして、この材木橋付近は荷揚げ場所として活況を呈した。  


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2008年03月14日

◆どんどんブリッジ





かつての大和紡績工場跡は、今では「どんどんどんの森」となり、佐賀市民の憩いの場所となっています。

そこに架かる橋で、その名も「どんどんブリッジ」と言います。
  


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2008年03月14日

◆三角橋





「開運橋」の次に多布施川にかかる橋がこの「三角橋」である。

多布施川水系が、ここから二手に裏十間堀川と大覚寺水路に分かれる。この地点で水路が三角になるために、こう呼ばれるもの思われる。

コンクリート構造の親柱は、「六反田橋」に似ている。架設年代も近く、当時の設計も類似しているのであろう。
  


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2008年03月14日

◆開運橋





多布施川にかかる橋で、昭和10年架設の古いものである。

昭和初期には、「開運橋」など風情がある名前が多いのが特徴である。
  


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2008年03月13日

◆くすのさかえ橋





県庁前のお堀を一気に渡るのが、「くすのさかえ橋」です。

建設の為に、お堀の大楠が移植されました。
  


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2008年03月13日

◆善左衛門橋



護国神社の北端、多布施川に架かる長さ8メートルの石橋。

ここの橋は、江戸時代に洪水の度毎に流されていたものを、宇野善左衛門が私財を持って建設したものである。

明和元年(1764年)7月10日に竣工し、渡り初めの費用も一切、善左衛門が出したと言われる。
橋の土台に直径40センチの松の丸太を井の字に組み、その真中に石柱の橋脚を立てた頑強な造りである。
  


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2008年03月13日

◆欄干橋





大正15年架設のかなり古い橋であったが近年、きれいに改造された。

橋の名は、藩政期に近くに藩主の休憩場所であった「欄干茶屋」からきているであろう。
  


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2008年03月13日

◆東魚町橋





裏十間堀川にかかる昭和11年架設の古い橋です。

藩政時代、魚屋はここ東魚町と西魚町以外は禁制でした。
  


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2008年03月12日

◆更生橋





NTT佐賀支社の西にかかる橋で、「更生橋」と名前が付いています。

親柱に昭和12年の建造と記されています。
当時、近くに裁判所がありそこへ通ずる橋なのでこの名になったのかもしれませんが、記録がないので定かではありません。
  


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2008年03月12日

◆校西橋



その名の通り、成章中学校の西門にかかる橋です。

校南橋と同じ、昭和9年の建造で、親柱も同じように重厚な造りです。
  


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2008年03月12日

◆校南橋





成章中学校の南の十間堀川にかかる橋で、昭和9年竣工の古いものです。

当時、佐賀市立佐賀高等小学校の建設に併せて建造されました。

りっぱな親柱と強固な欄干が特徴的です。
  


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2008年03月12日

◆聖堂橋・十間堀川水系



その名は、大財村にあった「大財聖堂」にちなんでいる。

元禄5年(1692)、儒学者・武富廉斎は、私財を投じ邸内に広さ約千四百坪の聖堂を完成させた。
  


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2008年03月11日

◆明十三橋・十間堀川水系





橋の親柱に、かすかに「明十三橋」と刻んである。明治13年、架設時の佐賀郡長武富良橘の命名による。

佐賀白山の豪商、武富家は明人十三官を祖としその一族は、白山町や勢屯(せいだまる)町、大財村に居住した。

「大財聖堂」を建立した武富廉斎は、中国の明時代内乱を避けて室町末期の日本に亡命した十三官の曾孫である。
  


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2008年03月11日

◆六反田橋・十間堀川水系





愛敬町の歓楽街にあって、親柱が特徴的な橋である。

1950年製でコンクリート橋の重厚感を持たせるために、このような概観を施したものと考えられる。
  


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2008年03月11日

◆鈴蘭橋・十間堀川水系





向榮橋の次に、十間堀川にかかる橋である。

当初は、恵比寿橋と呼ばれていたが、白山恵比寿班の人達が力を合わせ市の補助などを受けて施工された。
この橋の奥が、「すずらん通り」と呼ばれる。
  


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2008年03月11日

◆向榮橋・十間堀川水系





昔は、「土橋(どばし)」という名で呼ばれていた。

江戸時代には、お城下と唐人町を分ける十間堀川にかかる数少ない橋のひとつであった。
  


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2008年03月11日

◆御幸橋・十間堀川水系





唐人町土橋横から県庁通りに入る場所に架かる橋です。

明治35年、明治天皇統監の陸軍大演習が熊本地方で行われました。
その帰途、天皇陛下を佐賀にお立ち寄り下さるよう大隈重信を通して運動したが、ご名代として小松宮彰仁殿下がお越しになられました。

殿下がお通りになるため「御幸橋」と名づけられたものです。当時の「親柱」が龍造寺八幡宮の社務所東に保存してあります。  


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2008年03月10日

◆楠公橋その2・十間堀川水系





十間堀川水系には、楠公橋がふたつあるがその内のひとつである。

もちろん、楠神社の楠公さんに由来した銘々であるが、こちらの橋は昭和になってからの建造である。  


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2008年03月10日

◆楠公橋その1・十間堀川水系





「楠公橋」は、勧興公民館の南を流れる十間掘川に架かる橋で、その名はすぐ北側にある楠神社にちなんでつけられたものです。

明治3年の架設で社寺を除くと公道に架かる橋では、佐賀市内で最古のものと考えられます。
  


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2008年03月10日

◆社前の石橋・松原川水系





松原神社東正面の太鼓橋です。

松原神社は、藩祖・鍋島直茂を祀るため、八代藩主・鍋島治茂が、安永元年(1772)に創設しました。社前の石橋も同年5月15日に完成しています。  


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2008年03月10日

★太鼓橋・松原川水系



松原神社境内の北の出入り口に架かる橋で、特に名は付いていません。

神社仏閣に架かる橋は、この様式が多くて渡る時はなぜか子供心に少しだけ、緊張した思い出があります。
  


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2008年03月10日

◆楽天橋・松原川水系



「楽天橋」と名が付いています。なかなか、趣きがある名前です。  


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2008年03月09日

◆河童橋・松原川水系





その名も「河童橋」です。いたずら河童が身を乗り出しています。
  


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2008年03月09日

◆松園橋・松原川水系





「松園橋」は、その名の通り、松原とその北側にあった「銅像園」をつなぐ橋です。

大正12年11月10日、鍋島直正公銅像の除幕式があり、その日の内にこの橋の竣工式と渡り初めが行われました。
  


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2008年03月09日

◆松原橋・松原川水系





県庁通りと中央通りにふたつの橋がかかりますが、両方とも「松原橋」となっています。

中央通りの方は、佐賀市のメインストリートの橋という事もあり、欄干の素材や親柱の看板名共にとてもきれいな石造りです。
  


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2008年03月09日

◆ポンポン井樋・松原川水系





佐賀の人は、愛執をこめて「ポンポン井樋」と呼びます。

多布施川より松原川への取水の井樋の事ですが、以前は常に流れが渦を巻き、子供達の格好の遊び場所でした。ここから取り入れられた流れは、今では鯉が泳ぐきれいな川となり、松原神社北を憩いの場の水系としています。
  


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