2010年12月03日

椎木坂





長崎街道は、なだらかな坂を上るように椎木坂へ向かいます。西には大村湾が広がります。  
タグ :長崎街道


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2010年12月02日

瀬戸の六地蔵





長崎街道沿いに瀬戸の六地蔵があります。この先、街道は大村湾に沿って丘陵地帯を進みます。  


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2010年12月01日

龍頭泉道標石





次に山手の方へ向かう龍頭泉道標石が立っています。このあたりはいくかの道と交差しています。  
タグ :長崎街道


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2010年12月01日

馬加瀬淵道標石









千綿宿を過ぎるとほどなくして、千綿川を渡ります。そこには、馬加瀬淵道標石が立っています。細い道が長崎街道の名残りです。  
タグ :長崎街道


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2010年11月30日

千綿宿の町並み





彼杵宿の南約1.5キロ程の所に千綿宿があります。海岸線の狭い道沿いに今でも街道の面影を残す古い町並みが残っています。  
タグ :長崎街道


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2010年11月30日

彼杵宿から千綿宿へ





彼杵宿から千綿宿へ向かう長崎街道です。道端に小さな祠があります。  
タグ :長崎街道


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2009年02月09日

俵坂・籠立場跡







領界石からほどなく進むと、俵坂籠立場跡の碑があります。

籠立場とは、乗っている籠を止めて休憩した場所です。  


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2009年02月09日

俵坂・領界石







元禄3年(1690)、藩境に「従是南大村領」の領界石が建てられました。

明治の国道建設以降、その所在が分からなくなっていましたが、昭和33年に俵坂バス停付近の土中にてその上部が欠けた姿で発見されました。現在は、国道すぐ脇の小高い斜面に移設されtいます。  


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2008年12月04日

長崎街道・俵坂峠







俵坂峠です。この峠の向こうからは、佐賀藩の領地になります。峠を少し越えた場所に、かつて「口留番所」と呼ばれた関所がありました。
周囲は、坂本郷と中尾郷の山々を望むことができます。

  


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2008年12月04日

長崎街道・峠下







未舗装と舗装された長崎街道が交互に続きます。あともう少しで俵坂峠です。  


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2008年12月04日

長崎街道・坂本千部塔









坂本集落の中に、坂本千部塔と呼ばれるものが建っています。かつて、道ゆく人もしばし足を止めたかもしれません。  


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2008年12月04日

長崎街道・キロポスト









山道の長崎街道は、現在の国道34号線と交差します。それがこの78キロポスト付近です。
嬉野まで6キロとあるので、一里半あります。

  


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2008年12月04日

長崎街道・坂本郷









坂本郷付近の長崎街道は、俵坂峠へ向かってゆるやかな坂を登っていきます。要所に、手作りの表示がしてあり周囲の木々も伐採してあり、割と歩きやすい環境です。
途中には、往時の道を復元しようと松を植林してある区域もあります。  


Posted by 吉松 at 19:40 | Comments(0) | 彼杵宿

2008年12月03日

長崎街道・鳥越一里塚跡







鳥越一里塚跡には、はっきりした塚はありませんが少しだけ盛り上がった土壌が残っています。その前後は、一時、通行不能でしたが、最近になって通れるように整備された峠越えの山道です。  


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2008年12月03日

長崎街道・鳥越一里塚跡入口









菅無田郷付近で、鳥越一里塚跡入口に入ります。このあたりから、長崎街道も未舗装の山道になり往時の雰囲気になります。
シーボルトら一行もこの道を歩いた事でしょう。  


Posted by 吉松 at 23:41 | Comments(0) | 彼杵宿

2008年12月02日

長崎街道・鞘原大明神







里道を進むと、愛宕神社の鳥居が見えてきました。鳥居だけで本殿は見えません。
さらに行くと、「鞘原大明神」と刻まれた石塔が建っています。  


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2008年12月02日

長崎街道・三根郷







一ノ瀬を渡り、三根郷をゆるやかに登り始めます。振り返ると大村湾がキラキラと光り、頭上には、長崎自動車道が走ります。左には国道34号線が通り、時代は変わっても嬉野往還はここを通ります。

太田南畝・小春紀行には、次の記述が見られます。

『牛の時の頃、彼杵に昼休につく。ここにいたりて、長崎の方を見やるに、時津の向かひなるべし。川をわたり、田を左にす。右の方に海遠く見わたさる。』  


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2008年12月02日

長崎街道・一ノ瀬







今は、一ノ瀬橋が架かりますが江戸時代には橋はなく、「一ノ瀬」という徒歩渡りの場所でした。洪水の時には、この付近で河道を変えたとも云われています。
現在は、すぐ側をJR大村線が走ります。

  


Posted by 吉松 at 22:28 | Comments(0) | 彼杵宿

2008年12月02日

長崎街道・彼杵川







大村湾に、彼杵川が流れ込んいる河口付近です。
深澤捕鯨の好況を受けて、彼杵は発展していきました。五島方面とも経済で結びついて街道宿も栄えた事でしょう。  


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2008年12月01日

長崎街道・二十六聖人乗船地









慶長2年(1597)2月5日、豊臣秀吉の切支丹弾圧による最初の殉教者・日本二十六聖人は、ここ彼杵港より乗船しました。
その最後の地に着く前日の夕刻、2月4日にこの彼杵港から三艘の船に乗り、最期の地長崎へ向かったのでした。


  


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2008年12月01日

長崎街道・彼杵港









彼杵港は、元禄7年(1694)に築港され、時津や九州各地へ多くの船が出港しました。目の前には、穏やかな大村湾が広がります。  


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2008年12月01日

長崎街道の十字路









ここは、長崎街道と平戸往還の分岐点でもある宿場町中央付近にある十字路です。
北東へ進むと、長崎街道・嬉野往還で北西へ行くと平戸往還です。逆に、南東へ進むと大村往還で大村へ行きます。最後の道は、彼杵港へ出ます。

写真一番上・嬉野往還  二番目・平戸往還  三番目・大村往還  四番目・彼杵港へ




  


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2008年11月30日

長崎街道・彼杵鯨組





捕鯨で財を成した大村の深沢儀太夫は、鯨組を組織して鯨を彼杵港に運び入れ、ここから各地に搬出しました。今でも鯨屋と倉庫があり、独特の臭いが立ち込めます。  


Posted by 吉松 at 23:31 | Comments(2) | 彼杵宿

2008年11月30日

長崎街道・脇本陣







彼杵宿は、長崎を南に控え大村藩として経済も好況でした。彼杵港も整備され、捕鯨業でも活況を帯びていました。こうした中、裕福な商人達も登場し、森又右衛門らが脇本陣を構えたと云われます。  


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2008年11月30日

長崎街道・彼杵神社





彼杵神社・二の鳥居と本殿です。彼杵神社は、明治18年(1880)に遷宮されました。
  


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2008年11月30日

長崎街道・彼杵宿本陣







長崎街道・嬉野往還の通りに面した彼杵神社の地に、彼杵宿本陣がありました。寛永12年(1635)に設置されたと伝わります。通りを挟み正面には、脇本陣がありました。

  


Posted by 吉松 at 23:04 | Comments(0) | 彼杵宿