2008年12月29日
2008年12月28日
長崎街道・二国境石
二国境石は、肥前領と筑前国の境界を示すものとして、文化4年(1807)に對馬藩と黒田藩との話し合いにより建てられました。
もともと境を示す松がこの地にありましたがそれが枯れたので石碑が建てられようになりました。
「従是西肥前國對州領」、その一方に「従是東筑前國」と刻んで、その背中合わせにした線を両国の境界とするようになりました。
2008年12月28日
長崎街道・国境石
国道3号線・三国信号の東側に国境石が建っています。福岡藩により天保5年(1834)頃に建てられものと云われています。
高さが3.5メートル程ありかなり大きい石碑で、「従是北筑前國」と彫られています。
2008年12月27日
長崎街道・猿田彦大明神
しばらく行くと、猿田彦大明神の碑が道の左手にあります。町中に建つ石碑としては、かなり大きめです。
猿田彦大明神(サルタヒコ)は、日本神話に登場する神で古事記および日本書紀の天孫降臨の段に登場します。
2008年12月25日
2008年12月24日
2008年12月24日
長崎街道・木山口
田代宿を北に進むと木山口に出ます。このあたりは、正保2年(1645)に新しく木山口町として町並みができました。
さらに、明治の初め長崎街道沿いに近隣の地主数名が共同で酒造りを始め、「基峰鶴酒造」が起こりました。基峰鶴とは、山の山懐を悠然と舞う鶴の優美な姿から名づけられたものです。
2008年12月20日
長崎街道・今町
今町は、北の木山口から南の田代間の町並みで、街道沿いに軒を連ねるように家並みが続いていました。
元禄絵図によれば、町立てされたのは承応2年(1653)で合計30戸ばかりの家が建っていたようです。
2008年12月19日
2008年12月18日
長崎街道・追分石
田代昌町の追分石は、田代宿の東出入口にあたります。ここから日田英彦山道が分かれる道しるべとして建てられました。
石には「左こくら・はかた」・「右ひこさん」と刻まれていて、ここが街道の分岐点です。
2008年12月17日
2008年12月17日
長崎街道・六地蔵
昌元寺の入口横に六地蔵菩薩があります。仏教の六道輪廻の思想では、六道のそれぞれを六種の地蔵が救うとする説から生まれたものです。
六道とは、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道を意味します。
2008年12月17日
長崎街道・昌元寺
昌元寺は、当初、昌元寺町にありましたが、文禄年間頃に現在地に移り良盛大和尚が再興しました。
現在の本堂は文禄年間当時の建物と云われます。正面の門は、一見、山門に見えますが、実は鐘を撞く棟です。
2008年12月16日
2008年12月15日
長崎街道・田代代官所
代官所は、長崎街道に面した田代町・上町にあり「御屋舗」と呼ばれていました。その建設は、元和年間(1615~24)頃と云われています。現在の田代小学校校門付近になります。
以来、田代領には対馬藩から代官と副代官それに勘定役が赴任していました。