2011年09月18日
旧古賀銀行・全景
旧古賀銀行は、両替商・古賀善平が明治18年に佐賀郡蓮池町1番地に設立した銀行です。
明治39年には、現在地東寄りの佐賀市蓮池町に本店が新築されました。
当初は、洋風の漆喰仕上げの外観でしたが、大正5年に西側に大きく増築されタイル張りの外観となり風格ある建物となりました。
2011年09月17日
2010年12月06日
旧古賀銀行・外壁
旧古賀銀行の主屋外壁は、基本的には磁器タイル貼りとなっています。タイルは小口平、色は茶褐色で表面に釉薬が塗ってあります。
一階の窓台及び根廻台には、白御影石が用いられています。あと一階、二階にそれぞれ2本、計4本の人造石洗い出し仕上げのバンドが廻されています。
2010年11月24日
2010年10月05日
旧古賀銀行・金庫室跡
旧古賀銀行・主屋より北へ9m程はなれた位置に、金庫室と考えられる煉瓦床が発見されています。
煉瓦床は、東西約5m、南北2.8mに渡って敷かれています。
現在は、その上に化粧室を備えた倉庫棟が建てられています。
2010年09月29日
2010年09月27日
佐賀商業会議所・会頭室
明治29年(1896年)設立の佐賀商業会議所(現・佐賀商工会議所の前身)は、古賀銀行解散後の昭和9年にこの建物に事務所を移転しました。
この部屋は、その移転の際、会頭室として造られたものと云われています。
それから建物は、昭和9年から昭和29年まで佐賀商業会議所、昭和61年まで佐賀県労働会館、平成4年まで自治労佐賀県本部として使用され、佐賀市の所有となりました。
2010年09月27日
2010年09月26日
2010年09月26日
2010年09月25日
2010年09月25日
マントルピース
旧古賀銀行は、明治39年にイギリスより輸入された大理石のマントルピースが往時の面影を残しています。
暖炉背面には、灰取り口もきちんと残っています。
建物北側から屋根を見上げると、その上部に煙突を見る事ができます
2010年09月24日
長崎街道と新式郵便制度
長崎街道は、江戸時代において小倉から長崎までの25の宿場を結び国内唯一、海外への文明ロードとして発展しました。
この街道に呼応するように、明治4年12月5日、九州で最初に長崎郵便役所と16の郵便取扱所が街道沿いに設置され、その後順次、九州全域に郵便局ネットワークが広がっていきました。
2010年09月24日
佐賀城下の長崎街道図
旧古賀銀行は、現在は「佐賀市歴史民俗館」として、館内には佐賀城下の長崎街道概要図があり、郷土史を学習できるようになっています。
又、一階ロビーは大正ロマン漂う広々とした空間で、静かな雰囲気のひと時を過ごす事ができます。
2010年09月23日
2010年09月22日
舟木右馬之助・その2
舟木右馬之助は、明治22年佐賀県三養基郡基山村(当時)出身で、明治41年に佐賀県庁に奉職しました。
大正2年頃退職し「舟木工務所」を設立し、西肥銀行や高取家宝庫などを手がけました。その後、公会堂、寺院、旅館、変電所など次々に大型施設などを建築設計した記録が残っています。
昭和10年には、佐賀懸土木建築業組合長の要職を勤めました。
2010年09月21日
舟木右馬之助・その1
明治39年に本店を移築新築した佐賀銀行(現・佐賀銀行とは別)は、大正2年古賀銀行と名を改め、大正5年頃本店の大規模な増築工事を施工しました。
この工事を担当したのが「舟木右馬之助」という建築技師です。
この旧古賀銀行・本店や旧古賀銀行・神崎支店を建築設計し、後に佐賀市公会堂なども手がけています。
2010年09月21日
古賀銀行の風呂敷
佐賀市歴史民俗館・旧古賀銀行の1階展示室には、株式会社古賀銀行の風呂敷が飾ってあります。
中央に「古」の文様があり、周囲を宝尽くしで染めてあります。
この部屋はかなり広いスペースですが、かつては「電話交換室」だったと云われています。
2010年09月20日
2010年09月19日
石組みの基礎
旧古賀銀行の石組みの基礎は、当初新築された明治39年当時のものと思われ、白御影石でできています。
この地面も当初のままで石灰等で強固に固められ、水の浸入にも対処できる様、排水勾配が付けられ土管で外へ排水できる様に施工されています。
又床面の木材も、増築された当時のままと云われています。