2014年05月06日

【長崎街道の歴史シリーズ】


シーボルトは、1796年、今のドイツ連邦共和国バイエルン州ヴュルツブルク市の医学者の家に生まれました。その後、ヴュルツブルク大学医学部の時代には、医学ばかりでなく、動、植物学や民族学なども学びました。
1823年、シーボルトは、出島のオランダ商館医として、長崎に派遣されました。  


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2012年06月05日

シーボルト





シーボルトは、1796年、今のドイツ連邦共和国バイエルン州ヴュルツブルク市の医学者の家に生まれました。その後、ヴュルツブルク大学医学部の時代には、医学ばかりでなく、動、植物学や民族学なども学びました。
1823年、シーボルトは、出島のオランダ商館医として、長崎に派遣されました。
日本に滞在中には、阿蘭陀通詞(オランダ語の通訳)や、全国から西洋の学問を学びに来た学者たちの協力を得ながら、日本の調査・研究を行い、その成果をヨーロッパに紹介しました。
シーボルトは、日本に近代西洋医学を伝え、日本の近代化やヨーロッパでの日本文化の紹介に貢献しました。  


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2011年08月21日

ブロンズ製12ポンド砲







この青銅製大砲は、昭和29年(1954年)浦上河口付近で発見されました。オランダ東インド会社の社章「VOC」と「AMSTERDOM ANND1640」の文字が刻まれています。  


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2011年08月20日

カピタン部屋







商館長のことを日本ではカピタンと呼んでいました。このカピタン部屋は、非常に大きな建物群で商館長の住まいであると同時に商館事務所やお客をもてなす場としての機能を持つ、出島を代表する建物でした。  


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2011年08月19日

一番船船長の部屋







一番船の船長の部屋が滞在する部屋を見ることができます。嘉永4年(1851年)に来航したオランダ船船長の「私の日本滞在記」などを参考に再現されています。  


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2011年08月13日

出島和蘭商館跡







出島和蘭商館跡は、現在は国指定史跡として、いくつもの建物群が復元され、当時の様子を知る事ができるようになっています  


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2011年07月06日

シーボルト記念館







シーボルト宅跡の奥には、現在、シーボルト記念館があります。そして記念館の正面玄関脇には、若き日の青年シーボルトの銅像が建っています。  


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2011年06月30日

シーボルト宅跡









オランダ商館医として出島に赴任していたシーボルトが開いた鳴滝塾の跡地です。彼の名声を聞き全国から集まってきた多くの門弟達は、ここで医学全般に渡って学びました。  


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