2012年07月01日

牛島天満宮の飛梅





肥前藩士の古賀源太輔が毎月、大宰府天満宮に月参りを続けるうちに、文久3年(1863年)に飛梅の芽生を拝受されたと云われています。その後、源太輔の曾孫・三浦光二氏が昭和15年10月に献納されました。  


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2012年06月30日

牛島天満宮







牛島天満宮は、仁平元年(1151年)菅原道真公から第16代目に当たる、菅原教正が巨勢郷牛島村に社を創建したと云われています。
その後、永正5年(1508年)教正から9代子孫、下野守家泰男兵部少輔が再興したと伝えられています。そしてさらに鍋島勝茂公が佐賀城を築かれた折り、城の鬼門(北東)に当たる牛島町に移して、城の護神として祀つられました。 天満宮は全国に1万社以上あるといわれ、御祭神は菅原道真公で、学問の神様として有名です。  


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2011年07月03日

愛宕神社





佐賀市呉服元町の愛宕神社は、慶長5年(1600年)に鍋島勝茂公が勧請しました。

宝永7年(1710年)の鳥居、元禄11年(1698年)の庚申祠などがあり、古い歴史のある神社です。

  


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2011年07月01日

慈音院と婦人坐像









川久保・六代邑主であった神代直長の娘、成姫は、佐賀藩二代藩主、鍋島光茂の養女となり、白石の邑主、鍋島直弘の子、鍋島直氏に嫁ぎます。しかし、難産のために18歳で亡くなります。

このため、直長は娘のめいふくを祈って慈音院を建立し、姫の像を刻んで本尊観世音像の胎内に納めました。製作年代は延宝4年(1676年)頃と推定されます。そしてこの事は、その後忘れらてしまいました。

ところが明治年間になり、裏山で山火事が起こり、本尊を避難させた時、胎内で物音がしてこの像が発見されます。以来、この像は、本尊とともに安産の仏として信仰されています。成姫の墓は、本堂のすぐ右隣・別堂で立派な十一面千手観音が祠らています。


  


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2011年06月05日

高木八幡宮









社記によれば、久安年中(1145~1150年)頃、高木越前守貞永が高木庄に下向して居を構え、八幡大神を奉祀したと伝わります。その社紋は、十二日足です。  


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2010年11月22日

八坂神社









佐賀市・柳町、旧古賀銀行の南側に八坂神社があります。
鍋島勝茂公が、江戸時代最初期、居城の鬼門にあたる場所に国家泰平を祈願して、京都の八坂神社から勧請したと伝えられます。  


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2010年10月20日

新北神社・ビャクシン







新北神社の境内には、徐福が上陸した証に種を蒔いたと云われるビャクシンがあります。推定樹齢2200年ほどと伝えられています。  


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2010年10月17日

佐賀県重要無形文化財・三重の獅子舞 その2







佐賀県重要無形文化財に指定されている「三重の獅子舞」の一番の特徴は、獅子が担ぎ手の三段重ねで高々と伸び上がる点です。
奉納される境内では、演者の掛け声と見物者からの拍手や歓声で新北神社の秋季大祭も大いに盛上がります。  


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2010年10月17日

佐賀県重要無形文化財・三重の獅子舞 その1







本日・10月17日(日)は、新北神社・秋季大祭で今から「三重の獅子舞」が奉納されます。この獅子舞は、三段担ぎになっている非常に珍しいもので佐賀県重要無形文化財にも指定されています。
境内は地区の方々をはじめ、多くの見物客でいっぱいです。  


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2010年10月17日

新北神社・秋季大祭 その2







御神輿の下をくぐると、健康に恵まれ、縁起が良いという事で多くの皆さんがくぐらています。
巡行も無事終わり、新北神社の境内に到着です。そしていよいよ、「三重の獅子舞」の始まりです。  


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2010年10月17日

新北神社・秋季大祭 その1







本日、10月17日(日)は新北神社・秋季大祭が行われました。御神輿が地区を巡行し神殿に戻って来ました。  


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2008年11月20日

願正寺・二十四孝欄間





元禄15年(1702)本堂建立の際に造られた、願正寺の二十四孝欄間です。多久茂文が寄進したと云われています。
二十四孝とは、中国の元の時代に郭巨業が、二十四話の親孝行物語をまとめたものです。 日本には儒教の教えとともに5世紀初頭に伝わりました。  


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2008年11月19日

願正寺・お殿様の間





呉服町・願正寺には、歴代藩主が訪れていました。それがいわゆる「お殿様の間」です。
あまり広くはありませんが、当時は願正寺内部の人達でさえ入ることはできなかったと云われます。
すぐ脇には、警備の者が待機する「控えの廊下」もあります。今回、特別に見学させていただきました。  


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2008年11月01日

脊振山修学院







脊振山修学院は、寺名を積翠教寺といい、仏教の霊場として顕蜜の究学修法の道場としたと伝わります。
修学院(学問所)と改称したのは、慶長5年頃(1600)、佐賀藩祖・鍋島直茂公の命により再興され、京都の曼殊院門跡の末寺となって以来、藩主の手厚い保護を受けてきた天台宗の由緒ある寺です。
肥前国の最北東に位置するため、佐賀城鬼門除け・肥前国安穏祈願寺の道場と定められました。


  


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2008年05月28日

真覚寺の鐘楼







佐賀市伊勢町にある浄土真宗・真覚寺は、永禄年間(1558~1569年)創建で、境内にある鐘楼は、元禄12年(1699年)に建立された。

用材は、すべて欅(ケヤキ)材で300年もの長い年月、風雪に耐えた建築物として、貴重な佐賀市指定重要文化財である。  


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2008年05月23日

願正寺







慶長5年(1600年)、関ケ原合戦の時に佐賀初代藩主・鍋島勝茂は西軍(豊臣方)に加わったが敗北し、進退に窮した。この謝罪について、西本願寺の准如上人が中を取持って佐賀藩は事なきを得た。その恩顧に報いるために創建されたのがこの「願正寺」である。

これ以降、肥前領内の真宗寺院並びに門徒宗は、すべて西本願寺となり「願正寺」はその中心寺院として肥前国総道場と称されるている。  


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2008年04月19日

鏡圓寺の山門





鏡圓寺の山門です。

この地、唐人町にはかつて、李宋歓をはじめ多くの唐人が住んでいました。  


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2008年02月24日

大和町・建福寺





佐賀市大和町・建福寺は、和銅年間(712年頃)に僧行基が開山したといわれています。

元亀元年(1596年)大友勢の戦火に見舞われました。現在では、きれいに管理されたお寺になっています。
  


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2008年02月24日

河上實相院





河上實相院は、大和町・川上挟の西側山腹にあります。

行基菩薩が和銅五年(712年)神宮寺を開基したのが始まりといわれ、實治元年(1087年)比叡山より圓尋僧正が河上山神護実相院を建立しました。

室町時代には、この地区一帯で最も勢力を持つようになりました。
  


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2008年02月24日

秩父宮殿下・お立寄り

男女神社境内東には、「秩父宮殿下」お立寄り記念碑があります。




  


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2008年02月24日

男女神社からの眺め





男女神社からの眺めは、すばらしいものがあります。

さほど標高はないのですが、周辺が神聖な場所という事とここに立っているという気持ちで景色も違ってくるものです。
  


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2008年02月23日

男女神社





大和町・男女神社に参拝しました。

山すそのとても眺めがいい場所にあります。静かで参道もきれいだし、初詣でには又、行こうと思いました。
  


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2008年02月23日

竹ノ森稲荷神社





佐嘉神社の南境内駐車場の更に南にある、竹ノ森稲荷神社です。

「杏葉」と「剣花菱」の紋があります。
  


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2008年02月23日

願正寺





願正寺は、とても広い境内で荘厳な雰囲気がします。
  


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2008年02月23日

佐賀縣護國神社





明治3年(1870年)、佐賀藩主・鍋島直大が、戊辰戦争で戦死した藩士78柱を祀ったことに始まる。明治7年以降、佐賀の乱などの戦死者を合祀した。

当初は「招魂場」と称していたが、明治8年に官祭招魂社となり、昭和14年、招魂社の制度改正により内務大臣指定の佐賀縣護國神社と改称した。
  


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2008年02月23日

烏森稲荷大明神





元禄14年(1701)、鍋島綱茂公の心願により江戸屋敷桜田郷に鎮座されていた烏森稲荷大明神を勧請された神社である。

伝記によると綱茂公は、御嫡男がなく心痛され江戸にてかねてより信仰篤かった烏森稲荷神社に願をかけられた。

その願いが神に通じて、御嫡男を得られたことから佐賀の地に勧請されたことに始まる。
  


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2008年02月03日

150ポンド・カノン砲



佐嘉神社正面入口左にある、我が国最初の鋳造鉄製150ポンドカノン砲です。
この大砲は、当時品川砲台に備えられたものの一つを復元した物です。

十代藩主・鍋島直正公は、長崎警備増強の必要性を痛感し、台場の増強と洋式鉄製大砲の製造を行いました。
寛永3年(1850年)、築地に独自の洋式反射炉を築造し、日本で最初の鉄製大砲の鋳造に成功し、長崎台場の防衛用大砲を建造しました
  
タグ :カノン砲


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2008年02月03日

カノン砲





今日、節分祭を記念して佐嘉神社外苑で「カノン砲」が発射されました。
もちろん、空砲ですがそれでもすごい轟音です。
江戸時代みたいに、実際に弾が飛んだら相当の迫力があったでしょう。  
タグ :カノン砲


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