2012年06月07日

天璋院篤姫・宿泊の地





天璋院篤姫は、天保6年(1836年)に薩摩藩島津家の一門に生まれ、島津本家の養女となりました。さらには五摂家筆頭近衛家の娘として徳川家に嫁ぎ、江戸幕府第十三代将軍・徳川家定御台所となりました。
嘉永6年(1853年)8月21日に鹿児島を陸路出立し、熊本を経由して山家宿に宿泊したと云われます。天璋院篤姫は、薩摩街道から長崎街道を通り、江戸藩邸に入ったのです。  


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2009年01月12日

長崎街道・細川本陣宿





山家宿を冷水峠へ向かい東へ進むと左手に立派な庄屋屋敷があります。大庄屋・山田家の建物で、肥後藩主・細川公が宿としていた本陣跡です。今でも石垣を張り巡らされた屋敷構えは、当時の雰囲気が残ります。

  


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2009年01月12日

長崎街道・山家郵便局







郡屋跡を過ぎ、国道に出ると山家郵便局があります。郵便事業が長崎街道の道筋と共に広がっていった様子を表記してあります。
郵便局の隣には、往時の雰囲気を今に残す蔵作りの家屋が建っています。

  


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2009年01月11日

長崎街道・郡屋跡









中茶屋の少し先に、郡屋跡があります。郡屋とは、その郡内の村役人たちが集まって郡奉行の通達を受けたり、参勤交代の人馬役の打ち合わせなどをする施設で主要な宿場に置かれていました。  


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2009年01月11日

長崎街道・中茶屋跡







本陣跡のすぐ脇に、中茶屋跡があります。中茶屋は、いわゆる町茶屋で一般人が利用していました。
ここは、屋号を「長崎屋」といい代々、近藤家が当主となっていました。文化9年(1812)には、伊能忠敬も宿泊しています。  


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2009年01月09日

長崎街道・御茶屋跡







御茶屋は、藩主が領内を巡視する時に宿泊したり休憩したりする所です。また、長崎街道を通る長崎奉行や諸大名の宿泊にも当てられました。  


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2009年01月07日

長崎街道・山家宿初代々官





山家宿の初代々官は、桐山丹波守孫兵衛で慶長6年(1601)に黒田長政より知行を受けています。桐山丹波守は、黒田25騎の一人とも云われました。
代官所では、年貢の取立て、宿場の治安、御茶屋の管理などが主な役目でした。  


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2009年01月06日

長崎街道・山家宿番所跡





筑前六宿の2番目の宿である「山家宿」に入ります。国道200号線から狭い旧道へと長崎街道が続きます。
福岡藩が取締りの為に設けた「番所跡」があります。残念ながら建物などは現存しませんが、道なりは往時と変わらない程度だと考えられます。

  


Posted by 吉松 at 21:45 | Comments(0) | 山家宿