2016年06月17日

佐賀県遺産 旧福田家



佐賀県遺産 旧福田家

旧福田家住宅は、明治末期から大正期・昭和初期にかけて、佐賀を代表する実業家として活躍した福田慶四郎の居宅です  


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2009年12月03日

蕨野の棚田





蕨野地区は、相知町の南端にあり、伊万里市、多久市、及び武雄市の境にある八幡岳の裾野から中腹に位置しています。
蕨野(わらびの)という地名が示すとおり、春には蕨が群生する山間の集落で、農地は標高が150~420メートルの急傾地にあり、山の谷間を昭和初期まで開墾しながら拡大された石積みの棚田が1050枚、40ヘクタールの面積を有しています。
蕨野棚田の景観は、平成11年に「日本の棚田百選」に選ばれ、平成14年度には、「日本遊歩百選」にも選ばれています。  


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2009年12月02日

伊万里色絵楼閣山水紋大壷





古伊万里の風格漂う、立派な大壷です。  


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2009年12月01日

伊万里の「からくり時計台」





伊万里にある「からくり時計台」です。毎正時になると音楽と共に船や人々が動き出します。船は、帆が揚がると進むようになっていて見ていてとても楽しめます。  


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2009年12月01日

前田家・門幕





前田家玄関に門幕が掲げてあります。紋は、「丸に蔦」です。  


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2009年12月01日

前田家









前田家は、「櫛屋(くしや)」と呼ばれ、江戸時代初めの寛永年間(1624年~1642年)から、明治4年(1871年)の廃藩置県まで、代々伊万里郷の大庄屋をつとめてきた家でした。
主屋は、18世紀後半に建てられた木造茅茸平屋建で、佐賀県内に特有の「くどづくり」の屋根を組み合わせた構造をしています。
さらに、前田家は、藩内を巡視する藩主の宿舎にもなっていたため、主屋の内部には、床が一段高くつくられた八畳の上段の間が残されています。  


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2009年12月01日

旧犬塚家・その2









旧犬塚家の中には、古伊万里を積み出すときに使用された俵があります。
荷物専用の滑車も残っています。  


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2009年12月01日

旧犬塚家・その1





犬塚家は、明和元年(1764)頃の操業と云われています。伊万里津屈指の陶器商として〇駒(マルコマ) の商号で大阪や江戸へ陶磁器を積み出していました。
土蔵造の町家の多くが失われた現在では、伊万里津の繁栄を物語る貴重な建物です。  


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2008年10月27日

山口亮一旧宅







佐賀美術協会の創始者である山口亮一画伯の養祖父にあたる梅堂が、十代藩主・鍋島直正公の御辞医として地位を得た頃に、白石須古にあった建物を現在地に移築したと伝わります。
この旧宅は、山口画伯の創作活動の場として、また、洋画研究所を創立し後進の指導の場として当時の佐賀の美術界の拠点でありました。  


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2008年10月22日

仁比山神社の仁王門・その2





仁王門は、門に向って右に阿形、左に吽形の仁王像が安置されています。  


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2008年10月22日

仁比山神社の仁王門・その1





仁王門は、仁比山神社参道の入口に位置していて、本来ここにあった仁比山護国寺の山門であったと考えられます。
仁比山護国寺は、寺院由緒書によると天平元年(729)聖武天皇の勅旨によって僧・行基が草創したと伝わっています。

  


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2008年10月21日

ひのはしら一里塚







筑前・筑後・肥前境の三国峠を基点に一里(約4キロ)ごとに、江戸に向いて街道の左側に設置されたもののひとつです。
長崎街道で唯一、築山が確認されている一里塚でもあります。
ひのはしら(緋色=赤)とは、往時ここに櫛田宮の赤木の鳥居がそびえていたことによる謂れです。頂上には、いぼ地蔵さんがあります。


  


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2008年10月20日

馬場家住宅





幕末から明治にかけて、馬場家の祖先にあたり鍋島藩の藩医を務めた漢方医の高宗弘堂が居住し、この家で開業したと伝わっています。
18世紀末から19世紀初期の建築と推定され、表の腕木門も同時期のものと考えられます。表構えは他の町屋とさして変わりませんが、むしろ武家屋敷に近い間取りをしています。

  


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2008年10月19日

野中烏犀圓・その2







広い漆喰壁、正面中央の大破風や看板を吊るす屋形が、江戸時代の商家の風情を今に伝えています。  


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2008年10月19日

野中烏犀圓・その1







野中家は、「野中烏犀圓」の製造販売を家業とする老舗で、初代・源兵衛氏が嘉永3年(1626)に創業しました。
現存する建築物は、寛政8年(1796)に生薬「烏犀圓」の製造販売を藩から許された折に建てられました。  


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2008年10月19日

肥前浜宿・継場











継場とは、街道の宿にあり、いろんな荷物を宿場から宿場につなぐ場所の事をいいました。
入口には馬を繋いだ鉄の輪も残っています。  


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2008年10月18日

光武酒造場・その2









光武酒造は、江戸時代創業で現在も酒造りを営んでいます。明治14年建築の主屋は入母屋造妻入りの建物ですが痕跡からは元は切妻造であった事が分かります。  


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2008年10月18日

光武酒造場・その1







鹿島・浜川の河口に位置するこの地は、長崎脇街道である多良海道の宿場町として、「浜千軒」といわれる程、賑わっていました。豊かな多良岳の水により酒造業が栄え、現在も酒造場の主屋や土蔵が多く残り、通称「酒蔵通り」と呼ばれています。

  


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2008年10月17日

志田焼の里博物館・その3









陶土精製から絵付け、釜焼きまでここですべての工程が行われていました。最盛期には、従業員90名の陶磁器製造工場として、有田地区の4倍の生産量がありました。  


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2008年10月17日

志田焼の里博物館・その2







志田焼陶磁器株式会社は、昭和30年頃迄は火鉢等を中心にかなりの生産量を誇っていましたが、生活様式の変化等によりしだいに低下し、昭和59年に閉鎖されました。  


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2008年10月17日

志田焼の里博物館・その1







塩田・志田焼の里は、庶民向け陶磁器の大量生産供給地でした。
志田焼の里博物館は、全国でも稀な陶土製造から焼成までの全工程一つの工場で大規模に行っていた志田陶磁器株式会社の工場跡です。

  


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2008年10月17日

釘町家住宅







釘町家は、武雄藩・在郷武士の旧家です。主屋は、くど造り草葺き屋根(現在は、補修の為スレート)で南面中央に式台、隣に脇玄関を設けた家屋となっています。
鼠漆喰で仕上げられた座敷は竿縁天井が高く、格式ある造りになっています。屋外の後背林等と一体となり、趣のある景観を造りだしています。

  


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2008年10月16日

旧美野分教場





旧美野分教場は、五町田尋常高等小学校の分教場として昭和3年に建設されました。
建設には美野の国有林を払い下げて用材を確保し、美野の大工31名が携わりました。地区では分教場の裏山を「学校山」と呼び、地域に密着した教育施設でした。豊かな自然の中に建つ学校の遺溝として大銀杏と共に豊かな景観を形成しています。

  


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2008年10月15日

池田家住宅・その2









式台玄関と座敷、前庭からなる接客空間はとても質が高く、土間入口の吊大戸など建築的魅力に溢れています。
外観の様相は美しく在郷名士の近代和風建築の趣を呈しています。  


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2008年10月15日

池田家住宅・その1







塩田・池田家は、代々教育・政治に尽力した地元の名士です。
建物は、主屋と座蔵からなり、主屋は以前は、茅葺き(くど造り)でしたが大正8年頃に改修されたと考えられます。

  


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2008年10月15日

牛津赤れんが館







この地・牛津は、江戸時代に長崎街道沿いの宿場町牛津宿として栄えた商業町でした。
牛津赤れんが館は、玉屋デパートの前進である田中丸商店の倉庫として明治時代後期に建てられものです。
前述・隣接する牛津町会館と併せて、商都・牛津を象徴する建物です。  


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2008年10月14日

牛津町会館・その2







牛津町会館の庭園内には、九州の商王と呼ばれた初代・田中丸善蔵氏の銅像が建っています。
隣接する牛津赤れんが館とともに、かつて「九州の浪速」と呼ばれ商人の町として活況を呈した商都・牛津を彷彿とさせる建物です。  


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2008年10月14日

牛津町会館・その1







牛津町会館は、九州の財界人として著名な田中丸氏の邸宅として大正年間に建てられました。
内部は繊細な数奇屋風の木造建築物で、大きく南棟と北棟に分かれ、畳廊下で繋がっています。


  


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2008年10月13日

小柳酒造





小城は江戸時代から天山山系の伏流水を利用した酒造り等が盛んで、醸造業を営む町屋が建て並んでいました。小柳酒造は文化年間(1804~1818)の創業とされ、明治から昭和にかけての酒造工程の一連の建物群が現存します。
主屋は江戸後期の良質な町屋建築で、煉瓦造りの煙突は造り酒屋のシンボルとなっています。  


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2008年10月13日

小城羊羹資料館





小城地方は羊羹の名産地で、羊羹資料館は昭和16年に砂糖の貯蔵庫として建築されました。現在は、改築され羊羹づくりの道具等が展示されています。木造寄棟屋根の和風建築ですが、ファザード(正面)は、煉瓦とタイルによる洋風の意匠となっています。  
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