2010年12月22日
2010年12月21日
2010年12月20日
致遠館跡
致遠館は、慶応元年(1865年)、佐賀藩によって英語教育を目的に開設されました。校長には、フルベッキが招かれ学監には副島種臣が、教師には大隈重信、小出千之助などが勤めました。
(誤)ちおんかん
(正)ちえんかん
2010年12月19日
シーボルト宅跡
オランダ商館医のシーボルトは、鳴滝に日本人通詞の名義で土地と家を購入しました。そして週1回ほど、出島のオランダ屋敷からここに出向くことを許され、病人を診療したり、門人らに西洋医学の講義を行ないました。ここがいわゆる鳴滝塾と呼ばれ、その後シーボルト宅跡として知られるようになりました。
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2008年11月06日
長崎街道・向井去来の芒塚句碑
日見峠を越える道中に、向井去来の句碑が建っています。この芒塚句碑は、天明4年(1784)に長崎の俳人達が建立しました。
向井去来は、江戸時代前期の俳諧師で蕉門十哲の一人と云われます。肥前国(長崎市興善町)生まれで、芭蕉に入門し、京都に移り住み、芭蕉と師弟関係の親密さを深めました。
2008年11月06日
長崎街道・梨子の木茶屋
蛍茶屋を出て日見峠に向ってつづら折の道を進むと、梨子の木茶屋址に辿り着きます。
現在は、すぐ横に国道が走り日見トンネルがあります。ここから急坂になり、第一の難所である日見峠越えになります。
2008年11月06日
長崎街道・蛍茶屋
かつて、長崎街道・出発地の歓送迎処としてここに茶屋がありました。
一の瀬口に架かる一の瀬橋附近は、蛍の名所であったようです。
今は、長崎電鉄の出発地として橋の奥に車両基地もあります。
2008年11月05日
桜馬場天満宮とシーボルト
文政9年(1826)1月9日早朝、シーボールト一行約60名は、江戸へ向け長崎出島を出発しました。
そして、ここ桜馬場天満宮で安全祈願を行いました。行程は往復に106日を費やし、将軍家拝謁の江戸滞在37日の143日間の長旅でした。
2008年11月05日
長崎街道ここに始まる
長崎奉行所東から始まる、いわゆる長崎街道の出発点です。江戸時代には、長崎奉行やシーボルトらも歩いて小倉へ向かったと伝わります。
現在では、「シーボルト通り」と呼ばれる商店街になっています。