2008年02月06日

武富 廉斎

武富 廉斎

武富廉斎は、武富一族の始祖・明人十三官の曾孫にあたり、その名は咸亮と呼び、寛永14年(1637)、白山町に生まれました。幼い頃に漢学を学び、若くして京都に赴き中村愓斎の門に入り、帰国後「鬼丸聖堂」の創始者・実松致斎を育てます。

後に、藩主鍋島綱茂候より儒学者として召し出され、城下に「大財聖堂」を建立し藩内の文教に大いに貢献します。

又、諫早の慶岩寺住僧より筑紫琴を学び、京都の公家よりは琵琶を学ました。その琵琶の由緒が後水尾天皇の上聞に達し、御前にて弾奏の運びとなり譽れ相まって「孝鳥弦」の名を賜ったほどです。

墓は、佐賀市呉服元町の称念寺にあります。


同じカテゴリー(郷土の人物)の記事画像
唐津出身の建築家・辰野金吾
核割りの梅
少弐政資・資元の墓
専称寺
少弐冬尚の墓
古賀穀堂の墓
同じカテゴリー(郷土の人物)の記事
 唐津出身の建築家・辰野金吾 (2018-03-03 18:32)
 核割りの梅 (2010-01-11 17:05)
 少弐政資・資元の墓 (2010-01-10 20:35)
 専称寺 (2010-01-09 23:12)
 少弐冬尚の墓 (2008-11-01 20:18)
 古賀穀堂の墓 (2008-09-21 22:45)

Posted by 吉松 at 19:10 | Comments(0) | 郷土の人物
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。