2010年01月11日
核割りの梅
明応6年(1497年)、少弐 政資は、大内氏勢に追い詰められてここ、専称寺で自刃します。
この時、口にしていた梅の実を噛み割り、後に萌え出して花を咲かせその実が割れたので「核割りの梅」と呼ばれるようになりました。
Posted by 吉松 at 17:05 | Comments(0) | 郷土の人物
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