2008年09月21日
古賀穀堂の墓
古賀穀堂は、安永7年(1778)寛政の三博士の一人である古賀精里の長男として生まれました。幼少の頃より学問を父に学び、後年、弘道館の教授となります。
さらに文政2年(1819)、鍋島直正の傳役(教育係)となり、13年間に渡り指導役を務めました。
天保7年(1836)、59歳で没し、墓はここ金立町大門にあります。
Posted by 吉松 at 22:45 | Comments(0) | 郷土の人物
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