2024年06月22日
2024年06月18日
2024年06月17日
2024年06月16日
杉光家住宅
杉光家住宅は、木造3階建ての大型の立派な町家です。
一の蔵、二の蔵、三の蔵共に江戸末期に建造されたものです。
杉光家もかつては廻船問屋を営んでいて、表は長崎街道、裏は塩田川に面しています。
2024年06月15日
田代可休
天正15年(1587年)の生まれとされます
寺沢志摩守の大井井堰構築の際に「川に中島を造り水流を二分して一方に導水口を設けることで大水の害を避けられる」と助言しました
可休の献策により大黒堰は完成しますが、志摩守は「大名に指図せし」と憤慨し、可休を捕えます
2024年06月14日
2024年06月12日
2024年06月10日
2024年06月07日
2024年06月01日
延命地蔵
天正の頃、龍造寺隆信はすでに白石須古城に隠居していました。
柳川・蒲池鎮並に対し猿楽で契りを申し出ます。
それが何の行き違いが佐賀馬場にて両軍会戦のやむなきに至ります。
後に地元の民が両軍戦没者慰霊のために地蔵を建立しました。
2024年05月26日
嗚呼香月経五郎之墓
香月 経五郎・・・嘉永2年(1849年)生、明治7年(1874年)没。
香月 経五郎は、佐賀藩士香月三之介の長男として佐賀郡早津江で生まれた。弘道館で学び、その後長崎の致遠館(佐賀藩の英学校)に進み英学を習得した。明治維新後、上京し江藤新平の書生となった。明治4年、岩倉具視全権大使一行の外遊には通訳も務めた。
「佐賀の乱」が起こると、江藤新平と行動を共にし、鹿児島から四国へ渡った。高知県種崎町で捕縛され、斬罪された。彼は、処刑された者達の中では、最年少の26歳であった。
2024年03月31日
成富兵庫茂安公・水神之社
佐賀土地改良区の一角にある「成富兵庫茂安公・水神之社」です
佐賀土地改良区では、命日である9月18日に茂安公の偉業を称え、
土地改良会館内に祀ってある「水神之社」にて今後の佐賀平野の発展を願い
「水功祭」という神事を毎年行なわれています
2024年03月22日
2024年03月21日
2024年02月04日
2024年02月01日
2023年10月22日
五の宮神社
塩田川の南岸に小高い丘があり全体が楠でおおわれています
ここに鎮座する「五の宮神社」は、奈良時代初期の和同2年(西暦709年)の創建です
上流の丹生神社から5社なのでこの名がつけられた云われます
ここに鎮座する「五の宮神社」は、奈良時代初期の和同2年(西暦709年)の創建です
上流の丹生神社から5社なのでこの名がつけられた云われます
2023年05月05日
五龍神社
往古当地方の豪族(一族36家)田中という長者が、広く商業を営み巨万の財を蓄え、常に大船を浮かべて各地と通商、大陸とも交易しまわったために、海上の平安を祈り龍神を信仰していた。
ある夜、霊夢によって村の西方の西河水中から危難除去の守護神の黄金色の霊石を得たから、村の西隅に一祠をたてて五龍社と称して一族の繁栄福祉を祈った。これすなわち、欽明天皇26年、西暦564年のことである。
2023年01月21日
中ノ小路賓館
明治から平成までの123年間にわたり佐賀県知事の住まいとして利用した旧知事公舎を、「中之小路賓館」と称し、県の賓客をもてなす場や文化的な催しを開催する場などとして活用されています。
本日は、賣茶流煎茶のおもてなし会が開催されました。
2022年04月11日
歩兵第五十五連隊
日露戦争に勝った日本は、ますます軍国調になった
佐賀商議会議所は、地域社会の繁栄、人口増加策において歩兵連隊誘致を請願した
その甲斐あって、明治41年、佐賀郡高木瀬村に歩兵第五十五連隊が設けられた
連隊建設には当時、川上県道をはさみ東に兵営、西に練兵場、広さ実に40町の良田が充てられた
何しろこの広大な敷地には、膨大な盛土が必要であったから下高木、東高木、辻、寄人付近の畑土を運び水田を掘って盛土を採取した
一番広大なのが練兵場西側の土取場であった
後には、通称ドトイと云われてたがここは水田を買収して盛土を採取したものだから陸軍省が行った
土取場の跡は、濠となったために淡水魚の格好のすみ場所となり又、蓮も植えられた
県ではこの土取場の一部を借り受け淡水魚の研究試験、鯉の養殖を図った
2022年02月22日
思案橋遺跡
江戸時代は上今町にあたるこの地は、明治・大正時代頃まで商家が建ち並び、陸路の長崎街道と水路の紺屋川による人や物が行きかう賑やかな場所でした。
このような歴史的背景があるこの場所で、平成31年(2019)2月家屋の解体中に遺構が発見され、発掘調査の結果、江戸時代から明治時代に築かれた石岸護岸、雁木(石段)、側溝、建物に礎石等の存在が明らかになりました。
このような歴史的背景があるこの場所で、平成31年(2019)2月家屋の解体中に遺構が発見され、発掘調査の結果、江戸時代から明治時代に築かれた石岸護岸、雁木(石段)、側溝、建物に礎石等の存在が明らかになりました。
2022年02月20日
2022年02月19日
2022年02月15日
佐賀宿・構口番所
江戸時代、長崎街道で東から佐賀城下へ入るには、「構口番所」を通る必要がありました。
慶長13年(1608年)、佐賀城下が構築された際に、ここの番所も設けられました。
そのためこの付近は、かつて「慶長町」と呼ばれたこともあります。
これより西へ向かって、さらには佐賀城を北へ迂回するようにくねくねと曲がった長崎街道が通ります。
慶長13年(1608年)、佐賀城下が構築された際に、ここの番所も設けられました。
そのためこの付近は、かつて「慶長町」と呼ばれたこともあります。
これより西へ向かって、さらには佐賀城を北へ迂回するようにくねくねと曲がった長崎街道が通ります。
2020年05月10日
2020年05月10日
2020年04月04日
【第42回ふるさと佐賀学講座】を開催します
【第42回ふるさと佐賀学講座】を開催します
・日時:令和2年4月5日(日)10:00〜12:00
・参加費:2,000円 昼食付き
・集合場所:旅館あけぼの
佐賀城下、長崎街道の歴史探訪を開催します
龍造寺八幡宮、楠公神社などの名所旧跡を巡ります
お申込みは、電話またはFAXで受付ております
・日時:令和2年4月5日(日)10:00〜12:00
・参加費:2,000円 昼食付き
・集合場所:旅館あけぼの
佐賀城下、長崎街道の歴史探訪を開催します
龍造寺八幡宮、楠公神社などの名所旧跡を巡ります
お申込みは、電話またはFAXで受付ております