2008年03月06日
杏葉(ぎょうよう)紋

杏葉は、大陸伝来の装飾的な馬具(唐鞍・・・カラクラに使用された金銅製の装飾)を図案化した紋で、杏(あんず)の葉に似ているところからこの名がついたといわれている。古くは、大友宗麟の家紋として広く知られている。
大友氏の勢力により九州・鎮西地方では権威のある紋となり、大友氏から杏葉紋を与えられた一族の立花氏、戸次氏、田原氏などの有力家臣は「同紋衆」と呼ばれて優遇され、また大友宗麟と戦った鍋島直茂は戦勝を記念して杏葉紋に改めた。以後、「杏葉紋」は鍋島家・家紋とされる。
杏葉紋は茗荷(みょうが)紋と非常に似ているが、葉脈の筋や先端に花房がないことである程度見分けることができる。
後に鍋島氏が幕府に提出した公式文書に鍋島家自らが「みょうが」と間違えて書いてしまった逸話も残っているほどなので、佐賀では多くの人が鍋島家・家紋を「抱き茗荷紋」と呼ぶようになった。
Posted by 吉松 at 20:10 | Comments(0) | 歴史よもやま話
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。