2009年01月16日
嘉瀬刑場跡
写真上は、周辺が整備される前
写真下は、森林公園が造成された後
ここ、嘉瀬川河畔には佐賀藩の刑場が設けてありました。川筋が大きく弧を画いて流れを東へ変える辺りの堤防沿いに在ったと云われます。
元禄3年(1690)、オランダ商館員ケンペルは、「江戸参府紀行」の中に嘉瀬刑場の近くを通過する際に、刑死者8名の首が晒されていたのを見たと記述しています。
後年、「佐賀の乱」で江藤新平・島義勇らも不平士族の反乱において死罪判決を受け、斬首の上、首は嘉瀬の刑場に晒されました。
Posted by 吉松 at 21:49 | Comments(0) | 佐賀宿
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