2008年05月12日
◆多久茂文と正室の墓
多久茂文と正室の墓である。
茂文は、佐賀二代藩主・鍋島光茂の三男で、貞亨3年(1686)17歳のとき、多久第四代邑主となった。学問の大切さを知らしめるために、学問所(後の東原庠舎)を設け農民や町人にも門戸を開放し、後に孔子を祀った多久聖廟を創建する。
Posted by 吉松 at 22:49 | Comments(0) | 龍造寺一門
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。