2008年03月01日

西久保家の人々

西久保家の人々

                      写真は、「西久保 弘道」

<西久保 弘道>
文久3年(1863年)~昭和5年(1930年)は、警視総監・北海道庁長官・福島県知事等を歴任する。
佐賀鍋島町八戸に生まれる。明治45年から福島県知事を拝命し、大正3年4月21日には北海道長官に就任する。大正4年8月12日に警視総監に移る。西久保豊一郎陸軍少佐は弟。

<西久保 豊一郎>
明治2年(1870年)~明治38年(1905年)は、日本の陸軍軍人。歩兵第50連隊第1大隊長、後備歩兵第29連隊大隊長等を務め、日露戦争で勇戦し、樺太攻略戦に於いて戦死を遂げる。

<西久保 豊成>
明治33年(1900年)~昭和2年(1927年)は、佐賀市立勧興小学校、佐賀県立佐賀中学校をそれぞれ首席となり、熊本陸軍幼年学校に進む。ここに於いても首席の成績を修め恩賜の銀時計を授かる。陸軍中央幼年学校を経て陸軍士官学校に進み、大正10年7月27日に卒業する。同年10月26日に陸陸軍歩兵少尉となり、内務省に務める。


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Posted by 吉松 at 11:49 | Comments(0) | 郷土の人物
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