2008年02月05日
相良 知安



日本の医学をドイツ式に整え、現代日本医学の基礎を確立した功績者です。
佐賀藩医の子として生まれ、長崎・精得館などに進み、帰国後、佐賀藩主・鍋島直正の侍医となりました。
明治2年、鍋島直正に従い上京し、医学制度改革を命じられ、その後、従来の蘭英医学を廃し、日本はドイツ医学に依ることを主張しその必要制を説きました。
明治5年、第一大学医学校長、文部省医務局長などを歴任し、のちに東京医科大学を創設、医学体系をドイツ式に整えました。
墓は、佐賀市寺町の城雲寺にあります。
Posted by 吉松 at 00:13 | Comments(0) | 郷土の人物
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