2008年11月03日
長崎台場・四郎島その1
佐賀藩は、嘉永4年(1851)長崎警備の為、四郎島に大砲を設置する台場建設に着工します。外国船の侵入を長崎湾口で阻止する計画です。
まず、神ノ島と四郎島の間220メートルを堤防で結ぶ護岸工事に乗り出します。潮流が強く、捨て石が流され苦心の結果、木枠に石を詰めて沈めると流れないことを発見しました。さらに四郎島を切り開いて石垣を築きました。
現地には、今でも石垣や階段、さらには石切場などが残ります。
(※注意・・・現在、四郎島は私有地なので、無許可の立入りは、ご遠慮ください。)
Posted by 吉松 at 21:32 | Comments(2) | 城址・古戦場・台場巡り1
この記事へのコメント
タケタク様、先日はたいへんお世話になりました。
四郎島は、まさに「埋もれた歴史」でした。今回は、特別に許可をお願いして奥深く探訪しましたが、かなり危険な場所でもあります。
公的機関の保存研究が切に望まれます。
四郎島は、まさに「埋もれた歴史」でした。今回は、特別に許可をお願いして奥深く探訪しましたが、かなり危険な場所でもあります。
公的機関の保存研究が切に望まれます。
Posted by 吉松 潤二
at 2008年11月04日 23:40

凄い!!。
長崎警備の実態が想像されますね。
でも危なくなかったですかぁ?。
長崎警備の実態が想像されますね。
でも危なくなかったですかぁ?。
Posted by タケタク at 2008年11月04日 23:24
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