2010年08月17日

古賀精里の旧宅跡

古賀精里の旧宅跡

古賀精里の旧宅跡

古賀精里は、寛延2年(1749)佐賀郡西古賀村に生まれのちにここ、佐賀城下精小路に住みました。
江戸後期の儒学者で、名は撲、字は淳風、通称は弥助と云われました。陽明学を学び、のち江戸幕府の官学として保護された朱子学に転じます。
八代藩主・鍋島治茂により城下の松原小路にたてられた藩校「弘道館」の教授となり、弘道館の学則を制定しました。
寛政3年(1791)幕府の昌平黌の教官に抜てきされ、高松の柴野栗山、伊予の尾藤二州とともに寛政の三博士と呼ばれようになります。
精里は、号で住んだ土地にちなみ「精の里」を天下に発揚しました。



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Posted by 吉松 at 20:16 | Comments(0) | 郷土の歴史遺産3
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