2008年05月26日
◆八戸町・天福寺
延宝5年(1677年)鍋島光茂の時代、鍋島家とゆかりのある高伝寺、慶誾寺、静元寺、宗龍寺、龍泰寺、天祏寺、宗智寺の七寺だけを特別に保護する政策が取られ、圓藏院ははずされた。
このため、圓藏院・住職の村良和尚はたびたび藩主に嘆願書をだしたが、希望はかなえられなかった。そこで直訴を思い立ち、鍋島光茂公が慶誾寺に参拝する日、村良和尚は、その朝早く同寺にしのび込んだ。そして焼香台の下に身をかくし、光茂が焼香をしようとしたところ、焼香台の下から上訴状を光茂の面前に突き出した。会場は大混乱し、和尚は捕らえられた。
当時、直訴は斬罪の掟があり、和尚は同年2年、ここ八戸町の「天福院」で打首になった。
Posted by 吉松 at 23:34 | Comments(0) | 葉隠探訪
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