2008年12月28日
長崎街道・二国境石
二国境石は、肥前領と筑前国の境界を示すものとして、文化4年(1807)に對馬藩と黒田藩との話し合いにより建てられました。
もともと境を示す松がこの地にありましたがそれが枯れたので石碑が建てられようになりました。
「従是西肥前國對州領」、その一方に「従是東筑前國」と刻んで、その背中合わせにした線を両国の境界とするようになりました。
Posted by 吉松 at 23:39 | Comments(0) | 田代宿
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