2009年08月12日

鳴瀬・西岸寺







鳴瀬宿の北側に、西岸寺があります。ここは、長崎へ向かうときに藩主が休憩に当てた所です。
今でも藩主専用の御玄関には、佐賀本藩の杏葉紋が現存しています。  


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2009年08月12日

鳴瀬郵便局



鳴瀬地区の中ほどに、鳴瀬郵便局があります。長崎街道は、江戸時代の主要交通路だったために明治の初期から各地に、郵便局が建てられました。  


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2009年07月20日

鳴瀬神社・その1





道祖王の墓をさらに北へ進むと、鳴瀬宿に入ります。そしてその宿の中ほどに鳴瀬神社があります。  


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2009年07月19日

道祖王の墓・その2





「道祖王」は、孝謙天皇の皇太子となりますが機密を漏らし甚だ不行跡であるとし、排斥されます。
そして、大炊王が皇太子に推されます。
これらの処遇を不満とした「橘奈良呂」は、謀反を企てますが、密告により捕らわれます。
そして首謀者を初め多くの人々が処罰を受けました。その「橘奈良呂」も一緒にここに祀るとされています。  


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2009年07月18日

道祖王の墓・その1





武雄市橘地区の南、長崎街道沿いに「道祖王の墓」があります。
こんもりとした丘の中ほどに大きく茂る木がありその中に在ると云われています。
「道祖王」は、八世紀・天武天皇の孫で新田部親王の子にあたりますが、謀反を起したとして獄死した悲劇の皇族です。

  


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2009年07月17日

長崎街道・塩田道







郡境石を過ぎると数本の農道と交差します。今では分かりやすいように分岐点の数箇所に「長崎街道・塩田道」の石標が建っています。
ここから小倉までは、134キロ・約34里です。  


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2009年07月05日

長崎街道・郡境石







「志田焼の里」をさらに北へ進み、右手に入り山裾沿いに細い旧道があります。

その途中に、「郡境石」があります。この礎石より南は藤津郡で、北は杵島郡です。当時は重要な目印であり、藩では巡見上使が通過する際は、きれいに掃除するように命じていました。


  


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2009年07月02日

留守殿森





北志田・長崎街道沿いに「留守殿森」と呼ばれる、こんもりとした丘があります。頂上には、猿田彦が祭ってありました。
木陰も多くすぐそばには川が流れ、往時には旅人達の休息場所であったかもしれません。  


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2009年07月01日

長崎街道・志田焼の里









塩田宿を北へ進むと、「志田焼の里」があります。志田は、東山が古く後に西山でも陶業が盛んになります。

今では、その窯場址などが保存され、その近くを長崎街道が通ります。


  


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2009年06月22日

久間・長崎街道





塩田宿を北に行くと、旧久間村に入ります。そして長崎街道は、西山地区を通ります。  


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2009年06月20日

塩田の町並み





明治37年(1904)に武雄から祐徳稲荷神社前に至る祐徳馬車軌道敷設のため、塩田津を貫く表通りが大きく拡幅されました。
この時、町屋の多くが曳屋によって対応したため、今なお江戸時代後期や明治時代に建設された居蔵造の町屋が現存しています。  


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2009年06月19日

塩田津





「塩田」という地名は、奈良時代に編纂された「肥前風土記」に見られるのが最初です。「藤津郡」の項に、「潮高満川」に由来する「塩田川」と記されています。
寛永16年(1639)、塩田は蓮池藩の領地に組み入れられ、上福の地に頭人役所や上使屋が置かれるなど蓮池藩において政治的に重要な役割を担うようになりました。
上町・中町・下町の一帯は、「塩田津」と呼ばれ、文化10年(1843)に「御蔵」と呼ばれる藩蔵が設置されるなど、水上交通の要所とした大いに繁栄しました。  


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2009年06月18日

本應寺境内





本應寺の境内は広々としていて、とても静かです。
本殿下には、「本應寺」と刻まれた額があります。  


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2009年06月18日

本應寺







塩田津・本應寺は、誓誉上人の開基で天正14年(1586)に創建されたと云われます。山門の両脇に立つ仁王像は、塩田町・指定文化財です。  


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2009年06月17日

国登録有形文化財・杉光陶器店





塩田津の中ほどにある杉光陶器店は、安政2年(1855)頃に建てられたと云われます。堂々たる外観を持つ居蔵造の町屋で、その重厚な景観は、塩田津の繁栄を感じることができます。

  


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2009年06月16日

常在寺・杏葉と十二日足





常在寺の本殿には、中央に「杏葉」があり、その両脇に「十二日足」が二つあります。
  


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2009年06月15日

常在寺・後鳥羽院







肥前古跡縁起によると、「塩田の教王山・常在寺は、後鳥羽院の勅願に依って御建立の霊場なり」とあります。
後鳥羽院とは、後鳥羽天皇・治承4年(1180年)~延応元年(1239年)の事で、平安末期から鎌倉初期の第82代天皇です。  


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2009年06月13日

常在寺の仁王像









塩田津の入口脇に、真言宗の古刹・常在寺があります。開創は、古く和銅元年(708)、行基に開かれたと云われます。
急な階段途中の寺の参道には、塩田を代表する仁王像の石仏がそそり建っています。

  


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2009年06月12日

塩田レトロ館











塩田宿街道の中ほどに「塩田レトロ館」があります。
懐かしい、昭和・大正ロマンのコレクションがたくさん陳列してあります。
建物の三階までびっしり展示してありました。
ちなみに入り口のミゼットは、ちゃんと動くそうです。  


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2009年06月11日

長崎街道・塩田津







前回、訪問した時は雨だったので晴天の日の今日、あらためてもう一度「塩田宿」を探訪します。  


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2009年06月01日

塩田宿









長崎街道・塩田宿は、数多くの家屋が集まり塩田津港を有する藤津郡の交通の要所でした。長崎街道の宿場町として、海運交通の港町として近隣経済圏の要衝の地として、隆盛を極めました。

現在は、長崎街道を町のシンボルとして町並み保存が進められています。  


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2009年02月21日

宮の元・丹生神社







宮の元・丹生神社は、塩田川沿いの丹生神社の総本社です。
元明天皇の時代、和銅2年(709)に塩田郷馬場下に創建された古社です。祭神は、水神岡象女(みつ はのめ)で広く塩田川流域住民の安泰と五穀豊穣の守り神として崇敬されてきました。

  


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2009年02月21日

今川橋







五町田で長崎街道は、塩田川左岸に渡ります。現在は、今川橋が架かっていてかつて、ここに肥前電気鉄道の橋台がありました。  


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2009年02月21日

肥前電気鉄道・軌道跡





大草野の丹生神社前を東西に真っ直ぐに道が伸びています。
これは、かつてここを走っていた肥前電気鉄道の軌道跡です。肥前電気鉄道は、大正4年に開業し、昭和6年まで塩田~嬉野間を営業運行していました。
昭和初期には、停留所が9ヶ所ありました。停留所は、塩田・宮ノ元 ・美野・橋山・大草野・式浪・今寺・下宿・嬉野とあり、旧長崎街道沿いを走っていました。

  


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2009年02月21日

大草野





丹生神社の周囲は、大草野の名前の通り、広々とした大地です。  


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2009年02月20日

十六葉・菊の御紋





丹生神社は、古代・天皇より十六葉・菊の御紋を許されたと云われ、陣幕にもその御紋が記されています。  


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2009年02月19日

大草野・丹生神社







篠岳の山裾を周るように塩田道を進むと、大草野の広田に丹生神社があります。
大和国・吉野の丹生川上神社から分霊された古社で、祭神は同じく水神・罔象女命です。長崎街道沿いに一の鳥居が建っていてそこから北へまっすぐ参道が伸びています。

  


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2009年02月17日

塩田富士・唐泉山





塩田川を渡り、塩田道を北上します。
やがて、「塩田富士」と呼ばれる「唐泉山」が見えてきました。  


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2009年02月17日

塩田道・渡別当渡し







かつて、「渡別当渡し」と呼ばれた場所で、現在は塩田川に架かる「式浪橋」を渡ります。
これより大草野地区へと向かいます。

  


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2009年02月16日

長崎街道・塩田道





柄崎道(武雄)から北東へ分かれた塩田道は山間部を抜け、やがて塩田川が流れる式浪地区へと向います。  


Posted by 吉松 at 21:35 | Comments(0) | 塩田宿