2008年12月13日
2008年12月11日
長崎街道・瓜生野町
瓜生野町は、轟宿と田代宿のほぼ中間にあたります。町並みは南北に長く、現在でも旧家などが道路沿いにあって往時の雰囲気を残しています。
記録では、田代以上に「売薬行商」が盛んだったともあります。
2008年12月11日
2008年12月10日
長崎街道・姿見の池
延喜元年(901)に菅原道真公が大宰府に流された時、従った三澄左近将監時遠は年老いて、瓜生野に隠居しました。
時遠には子がなかったので、道真公に請いて五子・長寿麿を養子としてもらいました。
道真公は、我が子に会うためしばしば瓜生野を訪れ、長寿麿に水を与えるため水に映した自分の顔を見たのがこの「姿見の池」と伝えられます。
2008年12月09日
長崎街道・境橋
日子神社を東へ進むと、轟木川を渡ります。往時は、ここに番所があり番所川とも呼ばれていました。
これより東は対馬藩領・田代宿であり、いわゆる国境になります。そのため、「境橋」と云われています。
佐賀藩・西の番所である俵坂番所とともに、この轟木番所は、東の検問所としてきびしく警固されていました。
なお轟木川は、太田南畝・小春紀行では次のような記述があります。
『水のながるる音きこゆ。轟川をわたりて人家長くたちつづけり』
2008年12月08日
長崎街道・日子神社
日子神社は、慶長2年(1597)佐賀藩祖・鍋島直茂が、備前・英彦山権現の分霊を勧請して創建しました。
轟宿は、佐賀藩領の最も東に位置する重要な場所として、堅固な警備をする宿場として発展していきました。