2008年02月23日
佐賀縣護國神社
明治3年(1870年)、佐賀藩主・鍋島直大が、戊辰戦争で戦死した藩士78柱を祀ったことに始まる。明治7年以降、佐賀の乱などの戦死者を合祀した。
当初は「招魂場」と称していたが、明治8年に官祭招魂社となり、昭和14年、招魂社の制度改正により内務大臣指定の佐賀縣護國神社と改称した。
Posted by 吉松 at 19:08 | Comments(0) | 神社2
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