2010年08月01日
2010年07月24日
2010年07月23日
2010年07月22日
2010年07月15日
2010年07月14日
陽刻線描宝塔
この宝塔は、13世紀中程の鎌倉倉時代から作られた角宝塔です。四面にはそれぞれ金胎の四仏を陽刻線描を主体に描かれています。
当時の仏教美術や信仰史を考える上で貴重な資料として武雄市重要文化財に指定されています。
2010年07月11日
札の辻
ここには、公儀のご法度や藩の覚書の制札「高札」を掲示する「高札場」がありました。「高札」は、とくに交通の多い町角の人の見やすい場所に設置されていました。
この「高札」を災害から守るため、二十四人組がありいざ、火事という時にはこの組がすぐ傍らの井戸に「高札」を沈め、石造の恵比寿さんを重石にして守ったと云われています。
2010年07月10日
中村涼庵旧宅
幕末の医師・中村涼庵は、長崎でシーボルトの最新医学を習得して佐賀に帰国します。
天保2年(1831年)、武雄に帰り開業し時の領主・鍋島茂義の侍医になります。そして天保10年(1839年)自分の妹の子と茂義の子・茂昌に日本最初の種痘を行い成功しました。
2010年07月09日
牛の鼻町
新町の東寄りのこの一帯を、昔は「牛の鼻町」と呼びました。
平安時代の末、若木町に館を構えていた源為朝は、領主助明に頼まれて有田の白川に出没する大蛇を退治しました。大蛇のうろこが牛の背に積まれ、大宰府に行く途中にこの道を通りましたが、新町の入口まで来ると牛が鼻をついて動かなくなったと云われています。以後、この辺りを「牛の鼻町」と呼ばれるようになりました。
2010年07月07日
2010年07月06日
2010年07月02日
2010年06月17日
2010年06月15日
2010年06月13日
旧高崎家住宅
木屋瀬宿の中ほどにある旧高崎家住宅です。
劇作家・伊馬春部の生家としても有名です。本名を高崎英雄といい、木屋瀬で生まれ旧制鞍手中学校から國學院大學に学び、戦前、戦後のユーモア小説やラジオドラマなどの分野で活躍しました。
2010年06月12日
柴田丹兵衛墓
享保18年(1733年)、参勤交代の帰路、木屋瀬宿まで来た島原藩の一行は折からの大雨で川を渡る事ができませんでした。日が経てばそれだけ経費がかさむので家臣の柴田丹兵衛が浅瀬を見つけようと下境まで行って瀬踏みをしているうちに深みにはまり、感田村まで流れ着きました。
それを悼んだ土地の村人は、墓を建て「大道勇信士霊位」と刻んで弔ったのでした。
2010年06月11日
2010年06月10日
2010年06月09日
問屋場跡
問屋場とは、人馬継や飛脚・荷物を取り扱う所を指し、ここ野口家はその面影を残しています。
通常の道幅も5メートル程だったのに対し、7.5メートルと広く、また水害に備えて宿内で一番高い所にありました。
2010年06月08日
木屋瀬宿記念館
木屋瀬宿は、筑前六宿の中では比較的に平坦な土地にあります。遠賀川沿いの平野部には、落ち着いた宿場町からのどかな風情が伝わってきます。
木屋瀬宿記念館は、宿場町の中央に位置し古民家風の外観でしっかりとした造りです。
2010年06月07日
2010年06月06日
大里宿場跡
大里宿は、本土渡海の拠点として九州の諸大名をはじめ人々の往来で栄えました。
宿場としては小規模なものでしたが、本陣、番所、郡屋、人馬継場など宿場としての機能を十分に果たせる諸施設を備えていました。
2010年06月05日
2010年06月04日
2010年06月03日
帝國麦酒株式会社
大正期、大里地区は日本の4大工業地帯のひとつに数えられ、北九州一の工業都市として発展しました。
中でも帝國麦酒株式会社は、製品工場、製麦工場などを拡張していき地区最大級の工場となりました。


