2010年08月01日

長崎街道と武雄







武雄温泉の中程には、現在、コミニュティー広場があり長崎街道に関するいろいろな内容を説明してあります。  

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2010年07月24日

佐賀県初の電灯



佐賀県では、明治36年3月に現在の武雄温泉の一隅に火力自家発電ができ、16燭光の電灯30灯が点火されたのが初めてといわれています。  

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2010年07月23日

塚崎宿・本陣







本陣は、参勤交代の大名や公卿、あるいは幕府の高級官吏などが宿泊した最高級の旅館でした。
現在の武雄温泉楼門をくぐった場所に湯屋と隣接してありました。  

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2010年07月22日

武雄温泉楼門





武雄温泉楼門と武雄温泉新館は、建築家・辰野金吾の設計によるもので、国の重要文化財に指定されてます。鮮やかな色彩とその増築美は、さながら竜宮城のような景観です。  

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2010年07月15日

脇本陣・宮本武蔵の井戸





慶長年間に武雄温泉で「諸国屋」として始まった旅館は、脇本陣となりました。
そして、剣聖・宮本武蔵が「五輪の書」の構想を練ったと云われています。  

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2010年07月14日

陽刻線描宝塔







この宝塔は、13世紀中程の鎌倉倉時代から作られた角宝塔です。四面にはそれぞれ金胎の四仏を陽刻線描を主体に描かれています。
当時の仏教美術や信仰史を考える上で貴重な資料として武雄市重要文化財に指定されています。  

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2010年07月11日

札の辻





ここには、公儀のご法度や藩の覚書の制札「高札」を掲示する「高札場」がありました。「高札」は、とくに交通の多い町角の人の見やすい場所に設置されていました。
この「高札」を災害から守るため、二十四人組がありいざ、火事という時にはこの組がすぐ傍らの井戸に「高札」を沈め、石造の恵比寿さんを重石にして守ったと云われています。  

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2010年07月10日

中村涼庵旧宅









幕末の医師・中村涼庵は、長崎でシーボルトの最新医学を習得して佐賀に帰国します。
天保2年(1831年)、武雄に帰り開業し時の領主・鍋島茂義の侍医になります。そして天保10年(1839年)自分の妹の子と茂義の子・茂昌に日本最初の種痘を行い成功しました。  

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2010年07月09日

牛の鼻町







新町の東寄りのこの一帯を、昔は「牛の鼻町」と呼びました。
平安時代の末、若木町に館を構えていた源為朝は、領主助明に頼まれて有田の白川に出没する大蛇を退治しました。大蛇のうろこが牛の背に積まれ、大宰府に行く途中にこの道を通りましたが、新町の入口まで来ると牛が鼻をついて動かなくなったと云われています。以後、この辺りを「牛の鼻町」と呼ばれるようになりました。  

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2010年07月07日

塚崎宿・鍵形道路





敵が攻めてきた場合、その勢力を防ぐための戦略道路として作られたと云われています。
さらに、この一帯を「十間堀」といい防火用水を貯めるために掘られていました。  

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2010年07月06日

塚崎宿・円満寺







塚崎宿の西の入口にあたる場所に、日蓮宗・円満寺があります。

  

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2010年07月02日

小休所跡





長崎街道の町場である小竹の小休所跡です。宿場と宿場の中継の宿として栄えました。
この付近には、旅人が小休止する休み所があり、人馬継立てなどもありました。  

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2010年06月17日

小竹・長崎街道跡





小竹の地名は、周辺に竹林が生い茂っていたことから名付けられたと云われます。
街道沿いに町屋が続き、今でも往時の面影が残ります。  

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2010年06月15日

小竹







峠や山道が多い筑前六宿にあって、直方・小竹の町場近辺は遠賀川沿いの平坦な道が続きます。
さらに小竹駅は、土手の上に建てられた珍しい構造の駅舎です。  

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2010年06月13日

旧高崎家住宅





木屋瀬宿の中ほどにある旧高崎家住宅です。
劇作家・伊馬春部の生家としても有名です。本名を高崎英雄といい、木屋瀬で生まれ旧制鞍手中学校から國學院大學に学び、戦前、戦後のユーモア小説やラジオドラマなどの分野で活躍しました。  

Posted by 吉松 潤二 at 20:44 | Comments(0) | TrackBack(0) | 木屋瀬宿

2010年06月12日

柴田丹兵衛墓







享保18年(1733年)、参勤交代の帰路、木屋瀬宿まで来た島原藩の一行は折からの大雨で川を渡る事ができませんでした。日が経てばそれだけ経費がかさむので家臣の柴田丹兵衛が浅瀬を見つけようと下境まで行って瀬踏みをしているうちに深みにはまり、感田村まで流れ着きました。
それを悼んだ土地の村人は、墓を建て「大道勇信士霊位」と刻んで弔ったのでした。  

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2010年06月11日

追分道標





西構口脇には、かつて追分道標が建っていました。現在は、レプリカが設置されています。  

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2010年06月10日

木屋瀬宿西構口跡





木屋瀬宿は、江戸時代の脇街道であった長崎街道での筑前六宿のひとつとして栄えた歴史をもつ宿場町です。
構口は、宿場の出入り口にあたり道路と直角に石垣が組まれています。  

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2010年06月09日

問屋場跡





問屋場とは、人馬継や飛脚・荷物を取り扱う所を指し、ここ野口家はその面影を残しています。
通常の道幅も5メートル程だったのに対し、7.5メートルと広く、また水害に備えて宿内で一番高い所にありました。  

Posted by 吉松 潤二 at 19:45 | Comments(0) | TrackBack(0) | 木屋瀬宿

2010年06月08日

木屋瀬宿記念館







木屋瀬宿は、筑前六宿の中では比較的に平坦な土地にあります。遠賀川沿いの平野部には、落ち着いた宿場町からのどかな風情が伝わってきます。
木屋瀬宿記念館は、宿場町の中央に位置し古民家風の外観でしっかりとした造りです。  

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2010年06月07日

住吉神社







海上交通のお守りに御利益がある神社です。  

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2010年06月06日

大里宿場跡





大里宿は、本土渡海の拠点として九州の諸大名をはじめ人々の往来で栄えました。
宿場としては小規模なものでしたが、本陣、番所、郡屋、人馬継場など宿場としての機能を十分に果たせる諸施設を備えていました。  

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2010年06月05日

大里宿史蹟跡









大里宿には、多くの史蹟跡があります。これらを訪ねて歩くとかつての長崎街道の歴史がよみがえるようです。  

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2010年06月04日

桜麦酒株式会社







ビール工場は、その後、桜麦酒株式会社、大日本麦酒株式会社などと社名変更して拡大していきます。
特にサクラビールは、親しみやすい呼称で多くの人々に愛飲されました。  

Posted by 吉松 潤二 at 23:45 | Comments(0) | TrackBack(0) | 大里宿

2010年06月03日

帝國麦酒株式会社







大正期、大里地区は日本の4大工業地帯のひとつに数えられ、北九州一の工業都市として発展しました。
中でも帝國麦酒株式会社は、製品工場、製麦工場などを拡張していき地区最大級の工場となりました。  

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2010年06月02日

豊前大里宿跡







豊前大里宿は、長崎街道において小倉の次の最終宿場でした。今では、レンガ造りの工場跡になります。  

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2010年06月01日

大里宿湊口





ここ、大里宿の湊口跡からは、対岸の下関が見えます。かつて多くの旅人達がこの地から海峡を渡りました。  

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2010年05月29日

多賀神社







多賀神社は、伊邪那大神(男神)伊邪那美大神(女神)の二柱の神をお祀りしてあります。
この、御夫婦の神は、天照大神の御両親に当たらせられる神です。  

Posted by 吉松 潤二 at 22:42 | Comments(0) | TrackBack(0) | 直方

2010年05月18日

直方救護練習所之跡









かつては、ここに石炭事故を教護するための訓練施設である「直方救護練習所」もありました。また石炭記念館内には蒸気機関車や石炭貨物車も展示されています。  

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2010年05月17日

石炭資料館





この建物は、日本石炭協会の前々身ともいうべき筑豊石炭鉱業組合の直方会議所として明治43年8月に建てられたものです。  

Posted by 吉松 潤二 at 22:51 | Comments(0) | TrackBack(0) | 直方