2008年04月24日

◆十三烈士・朝倉 尚武

◆十三烈士・朝倉 尚武

朝倉 尚武・・・天保13年(1842年)生、明治7年(1874年)没。

朝倉 尚武は、佐賀藩士の家に生まれ、弘道館に学び特に兵学に優れていた。戊辰戦争では、佐賀藩隊の軍監付きや少隊長として奥羽で戦った。明治4年には、佐賀藩の兵制改革で2個大隊が編成され、1番大隊長に任命された。

「佐賀の乱」では、征討軍に対する陽動作戦として三瀬峠に陣を張った。ここでの朝倉勢はわずか十挺の小銃しか持たなかったが、征討軍と福岡県貫属隊を大いに悩ませた。これを見た征討軍の山田 顕義少将が「ここの佐賀兵を指揮しているのは、おろらく朝倉 尚武に違いない」と言わしめた。朝倉 尚武と山田 顕義は、陸軍少佐時代の旧友でもあり、彼らは陸軍きっての武勲者でもあった。

しかし最期は江藤 新平らと同じく、明治7年、斬罪された。


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Posted by 吉松 at 23:12 | Comments(0) | 佐賀の乱
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